【映画日記

このページは、個人的に書いていた<映画日記>の再録から始めたいと思ってます。
ストレートな内容ですがご愛読をよろしくお願いします。

※ 09年6月22日から現在までの観た映画の感想を少数の友人向けに書いた
<映画日記>の再録改訂版です。

 

□09年 6月11日記

観た映画のラストシーンを忘れてしまう癖から記しとかないと忘れてしまうと思いと、
知り合いの編集者の映画音痴ぶりに少しは何か伝えたいという思いから<映画日記>を始めました。
しかし観るペースと書くペースのリンクがうまくいかない。
仕上がりの悪い作品は書きたくもないし、
素晴らしい作品は細部と思いを書いてみたい。
何か内なるものをもっと壊さないと…

□09年5月29日記 アテネ・フランセ文化センターでジャン=マリー・ストローブ&ダニエル・ユイレ監督夫婦の短中編の3作品に行く。
再見の「ヨーロッパ2005年、10月27日」06 / 伊、初見の「アルテミスの膝」07 / 伊仏と「ジャン・ブリカールの道程」08 /仏。
「アルテミス~」は近年のスタイル、「ジャン・ブリカール~」は大変興味深い仕上がり。
「アルテミス~」はレナート・ベルタ、「ジャン・ブリカール~」はウィリアム・リュプチャンスキ!
撮影だけでも最高レベルなり。
ストローブ&ユイレ作品は観る度に襟を正してくれる。
この3作品は教養がないので感想はパスw
□09年6月4日記

再びアテネで再見の「ガブラ」05 / マレーシア / 監督ヤスミン・アフマド。今もっと注目してる監督の一人 (もう一人ならシンガポールの監督エリック・クー)!
女優であり監督のヤスミン、
彼女の3作目で最も好きな作品だ。
今週の土曜日に4作目「ムクシン」06 を再見する予定なので、後ほど本作も含めて感想を追記したい。

□09年6月6日記

シネセゾン渋谷で「スラムドッグ&ミリオンネア」08 / 監督ダニー・ボイル。アカデミー受賞作だが何か足らない。
悪くもないが良くもない仕上がりで、物語の運びが都合良すぎるし、金より大切なものを語るにはラストも都合が良すぎると思う。
勢いはある作品もイギリスの監督はインドの貧困は描けない。

□09年6月15日記

6月11日番外号、
榎戸耕史監督他とBluenote Tokyoでのカイル・イーストウッド LIVEに行く。
ご存知、イーストウッドの息子。「ミリオンダラー・ベイビー」04や「硫黄島からの手紙」06、「グラン・トリノ」08 などの音楽クレジットにもあるように、今ではジャズミュージシャンでベーシストとして父親の作品に参加。
子供の頃に「センチメンタル・アドベンチャー」82 で親子共演。
パリ在住で日本公演は三度目。
過去二回も聴きに行ってるが今回のLIVEは最高だった。
先のアルバム「パリスブルー」「ナウ」に続き、新作アルバム「メトロポリタン」発売に合わせたLIVEは、これまでの公演では見れなかった自らの音楽の方向性が定まった感じを受ける。
同じメンバーでの演奏で、今回はそれぞれの担当をより活かす姿勢を鮮明にした。
知性的な演奏のピアニスト、若くてキュートなトランペッター、オタク風で可愛くて即興が素晴らしいサックス、ベテランのドラマーといったメンバーの中で、カイルは指揮者のようにベースを担当。
「硫黄島からの手紙」の演奏は涙モノ!
終了後、カイルのサイン会に榎戸監督らと共に並ぶ。
押入れから引っ張り出したw日本ではスプラッシュ公開「センチメンタル・アドベンチャー」のパンフにサインを貰う!
カメラ持参の榎戸監督がカイルを入れてパチリ。
監督に頼んで写メでカイルとのツーショットを撮影してもらうもブレブレ。。うー!

□09年6月20日記 6月7日、
品川プリンスシネマで「アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン」09 / 仏 / 監督: トラン・アン・ユン。
前二作もフェチな作風で本作もそこは変わらない。
バイセクシャルの監督だけに男優の肉体を執拗に映す。
ぴあのコラムで五月女ケイ子が、ジョシュ・バーネットが白いブリーフで勃起してる朝立ちカットを指摘して、こだわりの演出だと書いてる。
物語は、ある大富豪から生き別れた息子(木村拓哉)の捜査を依頼された元刑事の探偵(バーネット)が、かつて同僚だった刑事の協力を得るため香港に行く。
キムタクは浮浪者のような生活、謎の力で難病や精神に病を持つ人々をハグすことで治療を行っている。
つまりはキリストのメタファ。
探偵は同僚に捜査依頼中、すぐにキリストを目撃する!
もちろん本人だとは気づかない。
街中では十字のペイントを書く日本人らしき狂言回しが出現。
同僚の刑事が追ってるかなりのヘタレ地元ヤクザ(イ・ビョンホン)が登場、彼女(トラン・ヌー・イェン・ケー ※ 監督の実妻)に逃げられる。
好きでたまらないヤクザはどうにかして捜し当てると、キムタクの所で一人でいる彼女を発見(麻薬からの治療中)。
嫉妬からヤクザはキムタクを撃ち、十字の磔にする。
探偵はどうして居場所が分かるのか不明ながらwヤクザの所に乗り込んでキムタクの居場所を聞く。
駆け出した探偵はキリスト化したキムタクを発見w
両手の釘を抜きキリストを解放。
カメラは徐々に俯瞰になり探偵は目的を果たしクレジット。。
大筋は以上だが、途中途中に探偵の過去が語られる。
そのエピソードが面白い。
刑事時代に猟奇連続殺人事件を担当。
犯人は殺した死体を変形させ、死体と死体が合体するいびつなオブジェを製作することで世界を呪っている。
そのことに衝撃を受けた探偵は同化することで犯人を知りたいと思うようになる。
相思相愛になるバーネットw
彼が犯人を追い詰めるシーンがある。
犯人のアジトに行くバーネットのカット、そのことに気づく犯人のカット、近づくバーネットを引きで映したアジト侵入カットにオーバーラップする犯人UPのカット、ンン異常だ。
カメラはバーネットの主観で部屋に侵入。
犯人から棒でボコボコに殴られダウンするバーネット。
何か囁かれて寄りの画面で犯人にケツを犯される。
その後、犯人を射殺するも、バーネットはやがて犯人と同じことを始める。
逮捕され精神病院に入院。
退院後、現在は探偵となるが、、
トラウマを抱える男となる。
受難者=ユダだ。
もう一人の受難者としてヘタレなヤクザの描写がある。
そこには悪の限りを尽くして放浪の身の上となった探偵とは違い、現世の悪の醜さのみが映し出される。
ヘマをした子分にビニール袋を被せて金づちで叩き殺すも、飛び散る血の量で転んでなかなか殺せない。
老人に何か聞くも埒が明かなくて逆上、一緒にいた犬を射殺して、
死んだ犬で老人を殴りつける(ワンカットで撮影)。
□09年6月21日記

「アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン」の続きです。
この作品は一体なんだろう。
救いなき世界にイエスキリストの受難と再生の物語をメタファとして映しているのだろうが大変厳しい仕上がり。
贖罪と魂の浄化を映し出すメッセージとか言われても、
語り口が上手くない上、
都合のいい展開だけでは絵空事の構図だけの作品に感じてしまう。
本作を観ると、、
次回作、社会の縮図と構図を描く村上春樹「ノルウェーの森」が都内で撮影中らしいが、
本作を観たら製作サイドは頭を抱え込んでるのではないだろうか。
罪を犯し現世を放浪するユダが、
再びキリスト(このキムタクキリストには説得力がないよ)を捜し出す話しよりも、
憎み合う二人が次第に愛し合ってることに気付き、
運命によって引き裂かれてしまい、
生き残った者は相手の遺したもの=トラウマから逃げることは出来ない話しの方が、
現代の受難と再生を物語る上ではより理解されるのではないか。
ちなみに、
五月女さんのこだわり勃起エッセイで書き込みが浅いと感じたのは…
勃起がはっきり判る姿の前に(白いブリーフだけで立ち上がる探偵)、
電話で起こされて会話をしてるカットがある。
相手は猟奇連続殺人犯。
つまり探偵がもっとも知り合いたい相手からのモーニングコールだ。
しかし犯人は探偵が射殺しているので、これは探偵の妄想カット。
連絡がある訳がないのに、
犯人からの電話に出る探偵を映すことで、
彼がいかに犯人を求めているかが判るカットになる。
もう逢うことが出来ない恋人からの連絡を待つ男の切実さが伝わってくる。
だから朝立ち勃起に説得力が出てくるのだw
早朝でさえも会いたくて仕方ない相思相愛の相手から連絡が入り、
大喜びで勃起してる男の姿。
爆笑するしかない。
ドMの男とドSの男の恋愛シーソーゲーム。
ドM=キリスト=善に、
同じムジナのドM=ユダ=改心が求めても上手くは行かない。
ドMにはドSでないと、
均衡=世界 (=善と悪) は保てない。
本作を二回に渡り書いてしまったのは
ダメな作品なんだけど、、
どこか魅せらるものがあったから。
作品の主題よりエピソードの主題に強く魅力を感じてしまう。
SとMの関係性か呪縛と再生の物語性か?変態こそ世界を救う!

6月8日、
ル・シネマで「レイチェルの結婚」08 / 監督ジョナサン・デミ。
上映終了が近く10人くらいの入り。
クレジットにロジャー・コーマンに捧げるを始め(出演も)、
最後にはロバート・アルトマンまでが記される。
本作はアルトマンの傑作「ウェディング」78 をデミ風にリメイクした作品。
レイチェルの妹キム(彼女が主役)との姉妹喧嘩の和解を物語の軸にレイチェルの結婚式までの家族の風景が語られる。
アメリカ人の前向き建前主義のオーバーな振る舞いに正直疲れるが(僕は中国人よりアメリカ人の方が嫌い)、
国は違えど家庭の問題や兄弟姉妹の関係性はどこも一緒だ。
和解する大ウソ=映画のヘソ、ポイントの後、
様々な音楽が流れる祝祭の儀式によってフィナーレを迎え、
観てる我々は映画と言うものに騙されてしまうのだけど、
そこが心地いいものが素晴らしい作品となる。
最後、妹キムは家を出ることで、
その心地よさに少し水をさす。
そこもよかった。

□09年7月3日記 6月13日、
アテネ・フランセ文化センターで2本。
始めは満員のインドネシア映画「エリアナ、エリアナ」02 / 監督リリ・リザ(男性です)。
全くダメで眠くなる。
家出中のOL娘を母親が連れ戻す話しと、
娘の同居人(はっきりした表現はないがレズビアンの関係と判る)の失踪の話しが同時進行。
母親は娘を、
娘は失踪した彼女を、
と言った関係性で物語を引っ張るが上手くいってない。
アップ中心の表現で心理描写が説明し過ぎて、
せっかく面白い二つの話しの上に母親と娘を置いてるのに、
情報が不足してしまい、
全てが説明ショットに映ってしまうからだ。
もう一作はとても楽しみなマレーシア作品「ムクシン」06 / 監督ヤスミン・アフマド(女性です)。
本作は東京国際映画祭2006 アジアの風でアフマド特集を組まれた中の一本。
翌年にアテネでの特集上映で観て以来の再見。
ヤスミン・アフマドの魅力は作家性の高い演出と画面にプラス、
登場人物の顔の映し方にある。
映画の見せ方を知ってる人だ。
縦の構図で長回しのフィックスを基本に(横の構図は移動が入る)、
物語の説明ショットは撮らない。
突然フレームに現れた登場人物をごく自然に映し、
アップは必要なときにしか入らない(「ムクシン」のヒロイン=オーキッドのアップは後半のサッカー場の一回のみ)。
物語は監督ヤスミンの自伝的な少女の成長を描く。
しかも、今日までの 5作品が全て繋がっていて、
主人公オーキッドの大河ドラマとして構成している。
デビュー作から並べると、
「ラブン」03、「細い目」04、「グブラ」05、「ムクシン」06、「ムアラフ改心」07。
少しややこしいのだが、
順番にオーキッド物語を撮っているのではない。
主人公オーキッドの年齢順に作品を並べると、
オーキッド10歳の思春期を描く「ムクシン」、
ハイスクール時代の初恋を描く「細い目」、
20代前後の就職時代の「ラブン」、
恋から愛を知り大人になる「ムクシン改心」、
結婚と離婚の体験をする「グブラ」となる。
この事だけでも大変驚いてしまうが、
それでいて個々の作品が独立して観れる上に、
順番で観るとさらに興味深くなる。
ヤスミン・アフマドは 3年以内に大きな映画祭の頂点に立ち、
もっとも才能がある監督の一人として位置することは明白だ。
□09年7月3日記 6月15日、
ヒューマントラストシネマ渋谷 2の最終回で「ハゲタカ」09 / 監督:大友哲史を観る。3~40人の入り、経営が代わり初めて来た。
ここは「アイドルたち」69 / 仏 / マルク・O の公開でお世話になった劇場。
「ハゲタカ」はテレビドラマのその後と言った作りで、テレビを見ていないため何人かの登場人物の設定がわからない。と言うか、、説明がない。
なので松田龍平や栗山千明の役柄は意味不明。
さて、この作品には何が映ってるのだろう?
ハゲタカを演じる大森南朋や玉山鉄二には気の毒だか、中途半端な役の設定にうんざりしてしまう。
それぞれの悩みや生立ちが背景として描かれるが、ハゲタカなんだから悩むなよ!「金環触」75 や「不毛地帯」76 / 共に監督: 山本薩夫 のキャラクターたちには悩みはない。行動原理に従っただけのこと。
だから本作は行動原理を持ち得ない登場人物たちの徒労らしきものだけが映ってるだけだ。
徒労を映すのは案外難しくてスペクタクルが必要。
悪いことをしてる意識を都合よく物語にしてるが、原作がダメなのだろうか、改心する話や意志を貫く話にはなってない。
ただただぶれるだけの人物を劇画チックに映してるだけで、
そのスケールの無さに情けない限り。
所詮テレビサイズの映画だった。
増村の「氾濫」59 を乗り越えるのは並大抵のことではない。
あと柴田恭平の渡哲也みたいな芝居はなんとかならないか、見苦しい。
そろそろ日本映画もラース・フォン・トリアの視点のような反米を真摯に描く本格的な作品が現れてもいいように思うのだが。
□09年7月16日記 6月17日、
渋谷ル・シネマ2で「悲しみよ こんにちは」57 / 米英 / オットー・プレミンジヤー。
封切作品「サガン 悲しみよ こんにちは」08 / 仏 / 監督ディアーヌ・キュリスの参考として16ミリプリントでの上映。
新作の方は監督に興味がないので見ないことにした。
キュリスは、未公開デビュー作少女版大人は判ってくれない「ディアボロ・マント」77 / 仏 を始め、何本か観てるのだが、、
とくに惹かれるものを感じない( 今が旬の監督・西川美和そうなるのではないか )。
セシルカット(ジーン・セバーグの髪型)で有名になった本作は凄い作品だった。
ちなみにプレミンジャーは、
スタンバーグ、ワイルダー、ジンネマン同様、ウィーン生れで亡命者のハリウッド監督。そしてワイルダーと共にユダヤ人。
代表作にモンローの「帰らざる河」54 やシナトラの「黄金の腕」55 がある。
裕福だが母親が不在する親子、その関係に入って来る侵入者 ( 父親には母親になる候補者、娘には若い男 ) に対して、父親と娘の葛藤を描く繊細な物語。
一瞬たりともセバーグの表情とその感情を読み取っていかないと物語がわからなくなってしまう語り口!
今ではあり得ない大人の演出だ。
またテンポが速いために常に読み取り作業が必要となり、
昔の映画は普通にこのレベルの作品があったなと思うと、
今の映画の教養レベルは観客同様に著しく偏差値が相当下がっていると思う。
ジャック・リベットがプレミンジャーの作品について…
登場人物たちの間の関係を建築家のように築きあげ、全ては閉じられた関係内における交換で成り立っており、観客たちをその関係の中に招き入れることではない…と語ってるが、まさにそんな作品だった。
だから今日も発見が出来る作品自身の存在を示すのだ。
観客に媚びた映画は歴史を生きることはない。
□09年7月16日記

6月19日、
満席の神保町シアターで「ペン偽らず 暴力の街」50 / 監督: 山本薩夫。
7月から銀座シネパトスの一館が名画座宣言として古い日本映画の上映を始めたが正解だろう。
このところの神保町シアターや新文坐、フィルムセンターの旧作の日本映画の動員力は凄い。
過去の日本映画を小まめに観てると新作の日本映画は観れなくなる。
レベルが違う以上に余りの面白さにはまってしまうからだ。
ここ何年か山本薩夫にはまっていて、
社会性と娯楽性を同時に撮ってしまう才人職人の作品は掛け値なしに面白い!
当時では珍しいオールロケの作品。
物語は占領下の埼玉県本庄市で起きた本庄事件( 48年朝日新聞記者への暴力事件 )の実話をもとに製作。
脚本は八木保太郎、山形雄策。
低予算ながら豪華キャストで、
池部良、宇野重吉、志村喬、滝沢修、船越英二、三島雅夫、大坂志郎、安部徹、本間文子など左翼から大映、松竹まで出演。
役者のキャラを観てるだけでも楽しい社会派の仕上がりで未見の方はぜひ観て欲しい。

6月21日、
再び神保町シアターで「白い魔魚」59 / 監督: 中村登と「月は上がりぬ」55 / 監督: 田中絹代。
中村登は面白さを語れる程観てない。「河口」61 や「古都」63 、遺作「日蓮」79 が印象に残り、ちなみに代表作「集金旅行」57 はイマイチ。。
「白い魔魚」は、
ヒロイン有馬稲子を通じて古い封建制度の否定と自立を描く物語。
恋愛のエピソードや母親との関係がメロドラマ過ぎて損をしてる。
強く生きていくヒロイン像が揺らぐからだ。
「月は上がりぬ」もしんどかった。
脚本は斎藤良輔と小津安二郎、
音楽は斎藤高順と小津組の編成。
当時の製作談話は知らないが、
田中絹代はどうして監督をしたのだろう?どこを切っても小津らしきものになってしまう。
娘の結婚、義理の娘と父親との同居など、小津的な主題が入り、小津作品を観てるようで損な仕上がり。
女性監督らしいフェミニンで好きなカットがある。
三女( 北原三枝 )とやがて夫になる安井昌二( 安井昌二・役名を芸名にしてデビュー )の恋愛関係の二人が歩くカットがいい感じなんだけど。

□09年7月23日記

6月24日、
銀座テアトルシネマで「夏時間の庭」08 / 仏 / 監督オリヴィエ・アサイヤス。
3世代の家族の移り変わりを住居と家具を通して描いた秀作。
60代以上の世代には死を、
30~50代の世代は現世にのたうちまわり、
20代以下の世代は未来を見る。
アサイヤスがベルイマンのように、
人間の本質を移り変わりでフレーミングした仕上がり。
この監督は意欲的な作風のものより、
落ち着いたドラマ性のある題材の方に向く人だ。
近く公開される「クリーン」04 や「デーモンラヴァー」02 は面白くないけど、「8月の終わり、9月の初め」98 や「感傷的な運命」00 はとても良い。
好みの問題だろうか?

6月27日、
シネマヴェーラ渋谷で神代辰巳特集の2本立「四畳半襖の裏張り」73 と「離婚しない女」86 。
長回しのカメラワークと演出の力量に改めて感激。
久しぶりに再見した2本だが、
「離婚しない女」は藤田敏八監督の「波光きらめく果て」86 と2本立だったと思うと、今と比べていろんなレベルと言うことを感じてしまう。

6月28日、
神保町シアターで「旅愁の都」62 / 監督: 鈴木英夫。
カラー作品も退色した真っ赤なプリントでモノクロ作品に赤く着色した状態だった。
画面の情報量は半減するも鈴木英夫作品は大変面白い。
当時では珍しい沖縄ロケを売り物にした恋愛劇。
しかし、そこは井出俊郎の脚本、
素直な観光映画とは成らない。
舞台は大阪で、、
乙羽信子の関西弁を聞いて、
もしか舞台は大阪?と気付くくらいw
登場人物たちの顔は全くと言っていい程に表情を消した演出。
物語は、
主役の宝田明が自分に相応しい女を選ぶ話。
選ばれた女を星由里子が演じ、
過去に貧しさのため売春、
さらに二号さんとして金持ちに囲われていた事実が発覚する不幸女の設定。
そんなめちゃくちゃな私 ( 星由里子 )に、何故ご立派な貴方 ( 宝田明 ) はどうして堕ちた私を好きになるのよ!恥ずかしくて死にたいわ~と揺れる。
そんなことは関係ない!俺にとって妻になる女は君だけだ~!と信じてハッピーに終わるも、、
ほんまに大丈夫かなと不安を感じさせるエンディング。。
強引に作り上げた演出の底技を魅せてくれる立派な仕上がりw
金持ちのスケベ紳士に森雅之、
妾人生を投げうって宝田によろめく中年女に淡路恵子、
その旦那に志村喬、
さらに志村の娘で宝田にぞっこんなフラれ役に浜美枝。
淡路の光る好演でドラマの半分は持った感じ。
沖縄ロケは製作サイドに言われて適当に入れたような扱い!

□09年7月30日記

6月29日、
満員の神保町シアターで「大番」57 / 監督: 千葉泰樹と続けて「大阪の宿」54 / 監督: 五所平之助。
「大番」は静かなブームなのか?
8月にアテネ・フランセ文化センターで全4部作の上映が決まっている。
行くしかないので感想はまとめて後記にしたい。
千葉作品は、
今年に入って神保町シアターで「沈丁花」66 、「羽織の大将」60 を観た。東宝のエース監督だけに、二本共そつのない立派な仕上がりに感激。
五所作品はまだまだ勉強不足~。
それでも歌舞伎座映画「蛍火」58 / 撮影: 宮島義勇 は大好きな傑作。
幕末を背景に母 ( 淡島千景 ) と娘 ( 若尾文子 ) が一人の男を好きになる親子丼のトンデモ恋愛話しだ。
「大阪の宿」は、
東京から左遷されて来た佐野周二が、
下宿する宿で出会う人々の不幸を通して人生を見つめ直し、
自分自身を取り戻す物語。
ラストですき焼き鍋を囲み他人同士が一瞬でも共同体になる時間が素晴らしい。
乙羽信子が大好演!佐野を好きな酒飲み芸者役に身を張った。

7月4日、
名画座宣言初日の銀座シネパトス2で「しとやかな獣」63 / 監督: 川島雄三と「巨人と玩具」58 / 監督: 増村保造の強烈な二本立の再見。入りは今ひとつ。
共に何回も観てるも常に発見があるのは言うまでもない。
川島と増村の感想はまだ書かないでおこう。

7月5日、
新文芸坐で「バーン・アフター・リーディング」08 / 米 / 監督ジョルジュ&イーサン・コーエンと「ワルキューレ」08 / 米独 / 監督ブライアン・シンガー。
コーエン兄弟の新作は少しだけ愉しめた。
名のあるハリウッドの役者たちが最悪のキャラを演じ、
CIAをメインに体制をブラックユーモアで皮肉る集団劇。
それぞれのキャラに面白さが感じられないため映画が弾まない。
今のアメリカ人や社会では物語に成らないからだ。
ブラピが呆気なく射殺されるカットにホッとするのは僕だけではないと思う。
「ワルキューレ」もひどい仕上がりだった。
トム・クルーズ演じる主人公は人道派のドイツ将校。
ヒトラー率いるナチス政権には批判的で反体制派から暗殺計画の行動隊長に指名されて悩む。
片目と片手を失うも、
久々に妻や子供たちのもとに帰り、
空襲に遭遇。
振動でプレイヤーが動き出す。
ワーグナーのワルキューレが流れて、悩んだ主人公のアップ。
始まって10分くらいか?
( じつは映画を観るときに、どのタイミングで物語が転換するか、始まってからの時間尺をチェックします )
ここで主人公はヒトラーの暗殺計画に参加することを決める、
と同時にワルキューレ作戦 ( ※ ヒトラー没後のナチス政権解体計画のこと ) をレコードを聴いて思い付く。
上手い手と思ったのだろう。
ワンカットで二つのことを意味することで観客にもそう思わせた。
同時に始まって10分くらいでドラマが終わった瞬間だった。。
後はもくもくと任務をこなすヒーローが映るだけだ。
違うだろ?と思うよ。
物語はドイツ国内の内紛の話しであって、ヒーローではなくて、
裏切り者として描くべきはずのものだろう。
裏切り者は悩み、怖がる運命だ。
始まって10分で二つのことを決定したアップがあるために、
その後は悩まない主人公になってしまったのだ。
そのことで脇役がいかに良くても、
ドラマに起伏が生まれて来ない。
せめて部下になる金髪将校とのプラトニックな恋愛でもあったら少しはなんとかなったろうにと思ってしまう。
その上、ヒトラー暗殺後に遺体を確認しない主人公を演じてしまうとは。。
なんと間抜けなドラマだと驚くが、
物語は後の祭り。
ヒトラーは生存、
反体制派はすぐに制圧されて、
哀れ主人公たちは射殺されてドラマが終わる。
つまり、、
物語の大半は裏切り者のドラマなのに、
何も悩まない主人公の行動とその間抜けな結末を我々は観せられる結果になっている。
実話らしいが、、
どうしてトム・クルーズはこんな脚本の作品に出演したのだろう??

□09年8月3日記

7月8日、
銀座シネマート試写室で「クリーン」04 / 仏英加 / 監督オリヴィエ・アサイヤス。
「夏時間の庭」08 が立派な仕上がりだったので本作には困ってしまう。
40過ぎても自分探しの物語には付き合えない。

7月9日、
品川プリンスシネマ2で「愛を読むひと」08 / 米独 / 監督スティーヴン・ダルドリー。
ケイト・ウィンスレットが素晴らしい。
「レボリューショナリー・ロード 燃え尽きるまで」08 / 米 / 監督サム・メンデス の狂っていく人妻もよかったが、
今回は盲目の女を熱演。
貧しさと生きていくために正直な行動する彼女にホロリ。
無力な男との再会シーンは、
少し引き気味で少し高い位置からの切り返しと触れ合う指のさりげないカットはこれぞオーソドックスの極め。
シンプルに撮れることは重要だ。
でも、余りに彼女が良い女過ぎてメロドラマ的になり過ぎる感もあり。
主題の転換を狙う作品だけに、
開かれた終わりにすべき力が感じられない。

7月10日、
シネマヴェーラ渋谷で神代辰巳特集「赤線玉の井 ぬけられます」74 と初見の「アフリカの光」75 の二本立。
「アフリカの光」には最高の仕上がりで今更ながら驚く。
桃井かおりは本作が一番いいんじゃないか。
神代作品の感想も後述にしよう。

7月12日、
恵比寿ガーデンシネマで「扉をたたく人」07 / 米 / 監督トム・マッカーシー。
恵比寿ガーデンシネマはここ何年か動員出来なくなった典型の劇場。
単館系劇場のシネコン化が観客の期待を裏切ってるからだと思うが、
好感をもてる仕上がりの本作はまあまあの動員。
不法難民の青年と出会うことで、
( タイトルのごとく ) 扉がたたけなかったオヤジの再生を描く。
音楽の扉をたたき、
自分自身の扉をたたいて、
そして社会システムに気付く。
ラスト怒りのメッセージはアフリカの怒りにまで通じる。
役者が素晴らしい分、メロドラマ的になり過ぎて少し主題が揺らぎ気味。

7月13日、
新文芸坐で松本清張特集の二本立。
初見の「黄色い風土」61 / 監督: 石井輝男 と大好きな傑作「けものみち」65 / 監督: 須川栄三。
「黄色い風土」は手堅い仕上がりでラストはビッグな見せ場も用意した。
鶴田浩二がトップ屋を演じ、
偽札作りの組織を突き止める物語。
前半の実録ミステリータッチに引っ張られ、ラストの自衛隊砲弾訓練中、
砲撃されながらの締めくくりは面白い!
そういえば、、
石井監督のカルト中のカルト作品「異常性愛記録ハレンチ」68 が遂にDVD化。是非購入したい!
テレビの前で若杉英二の気持ち悪いセリフ『幸せ~?』が観れる。。
「けものみち」は何度でも観たい仕上がり!
池部良のキャラにはシビレてしまう。
戦中はコミュニストだったが、
戦後満州から引き上げてからは、
権力の飼い犬として何でもやる男を年季の入った商売女のように演じている。戦中崩れの成れの果てだ。
脇の役者も揃いに揃ってスタイリッシュでニヒルな日本映画の一本!

7月14日、
神保町シアターの成瀬巳喜男特集で満員の「お国と五平」52 と、
はしごで、
シネマヴェーラ渋谷で「0課の女 赤い手錠」74 / 監督: 野田幸男 。
「お国と五平」は意欲作ながら、
笑いや野次が出る変な方向になってしまう仕上がり。。
敵討ちの物語なのに、
敵が敵討ちを拒否するも敵討ちされてしまうお話。
敵を山村聰が演じて、
現代口語調で話したのが変な方向になってしまう一因か。
敵討ちと言う大きな物語が物語として強固過ぎた。
山村聰だけがとても愛しい役で、
お国役・木暮実千代や五平役・大谷友右衛門のダメ人間ぶりは成瀬タッチか。
「0課の女 赤い手錠」は何十年ぶりの再見。時間が経って再見することはとても大切なことだと思う。
杉本美樹はヒロインとして存在感があるが、活躍がない。
そこが残念な仕上がり。。

7月16日、
シネマート新宿2 で「私は猫ストーカー」09 / 監督: 鈴木卓哉。
近所の野良猫を観察することが好きないい年をした女が、
自分のことが好きかも、、
彼のことが好きかも、、
いい加減なことを言う、、
とテレビサイズの映画だった。
入場料金払って損したと言いたい。
誰もが簡単に映画 ( この場合はデジタルシネマと言った方がいいだろう ) が撮れてしまう時代の一本。

□09年8月13日記

先日、
マレーシアのヤスミン・アフマド監督51歳がお亡くなりになりました。。
才能を感じるナウ監督の最大クラスでした。映画界の大きな損失です。
TIFF09で新作上映と追悼上映がありそうなので、まだ未見の方は是非この機会に観て欲しい。

7月17日、
渋谷東映で「剣岳 点の記」09 / 監督: 木村大作。
好きな撮影カメラマンの一人だが、
監督作品はどうだろうか?
主人公 ( 浅野忠信 ) の失敗続きが前半の物語になっていて、
浅野の顔が何も考えていないように映る上に軍の命令から行動してる設定で、主人公の頭の中はさらに空っぽに映ってしまう。
無能の男の計画に失敗が続くシチュエーションはかなり辛い。
ライバル ( 仲村トオル ) からどうして貴方は山に登るのか?
と尋ねられるくだりが物語の転換点も主人公の発言はない。
代わりに先輩 ( 役所広司 ) が映り、
測量の重要性や地図の素晴らしさを語り、だから男は山を登るのだ!と言うのだ。
よく理解すれば、、
愚直で無口の主人公を反映させるために理解者の先輩に語らせたのだろう。
監督の頭には高倉健が固定されている。
難航不落の剣岳の征服ルートに挑み始めてから物語は色めき立ち、
急に面白くなる。
物語は山を征服する話しに戻るのだ。
物語の転換点までを面白くするには、
大きな意味でキャラに狂気が必要だった。設定以上にキャラの肉付けをしなかったこと、設定以上のことが映っていないことに気付くセンスが必要だった。
ライバルから主人公たちの成功に対する賛辞が手旗信号で伝えられるラストシーンにも困ってしまう。
信号を読み上げる主人公が途中で泣いてしまい、
生意気キャラの部下 ( 松田龍平 ) が代わりに務めるのだが、
ここの役割りは逆だったと思う。
生意気キャラが泣くことでチームの一員となり、
主人公は涙を見せない強い男に成長する方がかっこよかった。
キレイで絵はがきのようなカット、
デジタル合成をしない危険な撮影シーンなど、
活動屋の心意気は見せるものではなく感じさせるものなのに、
伝わって来ないのは何故?

7月24日、
シネマライズBFで「レスラー」08 / 米仏 / 監督ダーレン・アロノフスキー。
上映終了間近も座席が半分程埋まる。
プロレス好きには堪えられない題材だ。
今のアメプロのように下品な仕上がり。自分のことをリングで話し過ぎるからだ。
そのこと=媚びる演出で観客を泣かせることは誰にでも出来るから、
映画の演出ではない。
本作の場合は、
自分自身の自分勝手な人生を語らせるのではなく、
ミッキー・ロークを通して無茶な人生をまっとうするレスラーの心意気を映して欲しかった。
それが演出と言うものだろう。
題材とミッキー・ロークに同情が集まる計算は小賢しい。
所詮と言ったお里の知れる監督だ。

□09年8月14日記 7月25日、
NFC大ホールで「夕陽のガンマン」65 / 伊 / 監督セルジオ・レオーネ。
いよいよPFFのクリント・イーストウッド特集がスタート。
デビュー作から初期作品…
ドン・シーゲル、レオーネと普段フィルムで観れない感涙のプログラミングだけに注目が集まった。
しかし、前年のダグラス・サーク、
一昨年のロバート・アルトマンに比べて動員が苦しい状況。
空席が目立つ上に客層の年齢が高い。
DVDで観れるからか、
若い層には敷居が高いのか、
いつも通りのNFC大ホールと言った感じで中高年ばっかり。。
初見の「夕陽のガンマン」はオープニングのクレジットからカッコいい作品だった。
賞金稼ぎのリーヴァン・クリーフとイーストウッドそれぞれの紹介から始まり、
悪党のジャン・マリア・ヴォロンテ ( 往年のイタリア映画のスターでファンでした!主な作品に「荒野の用心棒」64 / 監督レオーネ、「労働者階級は天国に入る」71 / 監督エリオ・ペトリ、「エボリ」79 / 監督フランチェスコ・ロージ ) に賭けられてる懸賞金を巡っての駆け引きが繰り広げられる。
クリーフの過去のインサートによって物語は完結する強引な造りと位置関係に置ける距離感のでたらめさは驚くばかりだが、
説得力ある構成とユーモアにくぎ付けになってしまう。
イーストウッドが三船敏郎的な用心棒キャラ以上にクールな魅力を発揮!
テクニカラー、シネマスコープ、監督、役者、エンリオ・モリコーネの音楽と勢ぞろいの楽しい楽しい仕上がり。
引き続き、
シネマヴェーラ渋谷の変なキャラ&テレビキャラ特集「子連れ狼 三途の川の乳母車」72 / 監督: 三隅研次と「瞳の中の訪問者」77 / 監督: 大林宣彦の二本立。
三隅作品は再見で以前観た時は退色したプリントだっただけに心配したが、
今日のプリントはニュープリント!
DVDにする為に焼き直したテレシネ用プリントのようで初見する感じで楽しめた。
本作は正統派怪作の一本で、
松尾嘉代の後ろ走りが凄いw!!
大林作品は手塚治虫ブラックジャックの実写版。
宍戸錠がブラックジャック、ヒロインに片平なぎさ、謎の男に峰岸徹。
ゲストに藤田敏八監督が出演。
思いがけなく監督の姿を観てうれしくなる。
仕上がりはたるいが、
デジタル合成などまだまだの頃、
ブラックジャックの家の引きのカットはよかった!
ヒッチ「北北西に進路を取れ」59 を意識した崖っぷちに立つ家は、
書割とミニチュアを合成したスクリーンプロセスと言われた今は無き合成技術だが、
今の画面より映画らしいのはどうしてなのだろうか?
本来は現実にセットを建てて見せるものだが技術の進歩で合成技術で見せるようになった。
その画面はヴァーチャルなもので、
観客は ( 映画を初めて観た観客も ) 驚くと同時に嘘だと気付く。
しかし、画面 ( 映画 ) は続いてるので再びその合成画面が現れると、
観客は記号化する ( 嘘だと分かっていても現実だと認識する ) 。
その連続によって観客は飽きて来るのだ。嘘は精算されない。
飽きが来ないのはアニメ感覚を持つ子供の感性。
しかし映画はそこから脱皮した感性でないとまともに観れない。
□09年8月16日記 7月28日、
今日はイーストウッドミーツドン・シーゲル大会。
NFC大ホールで「マンハッタン無宿」68 / 米 / 監督ドン・シーゲル、
「白い肌の異常な夜 ストーリーテラー」71 / 米 / 監督クリント・イーストウッド ※ 監督デビューの短編作。
ドン ( ドナルド ) は50~70年代にかけてハリウッドで活躍した低予算作品専門の御用監督。
ラウォール・ウォルシュ、マイケル・カーティス、サム・ウッド、ハワード・ホークスなど大物監督の助監督を始め、ロバート・ロッセン、サムペキンパーなどの第二班監督を務める。
短編作品で、
アカデミー短編賞とドキュメンタリー短編賞の連続受賞をきっかけに長編に進出。デビュー作「 The Verdict 」45 は僚友のピーター・ローレが出演。
主な作品に「暴力の季節」56、「殺し屋ネルソン」57、「殺人者たち」64、「ダーティハリー」71、「ラスト・シューティスト」76、「アルカトラズからの脱出」79 などがある。
「マンハッタン無宿」は「ダーティハリー」の原型みたいな作品。
出張でN.Y.に来た田舎刑事が都会に戸惑いながらも、犯人を逮捕して田舎に護送するまでを描く。
面白いのは、
事件解決物語と並行して、
イーストウッドが登場する全ての女性とベッドインするモテキャラで田舎刑事の恋愛が描かれる。
全体的に設定の説明で終始してる分、
物語が退屈になるために、
お色気シーンを散りばめて全体を持たせた印象だ。
そのため、常に女性に助けられるジゴロタイプのお調子者になっているが、
そのキャラはイーストウッド自身の作品 ( 「ダーティファイター」78、「ブロンコ・ビリー」80、「ピンク・キャディラック」89 ) によって自ら演じられることになる。
「白い肌の異常な夜」は語るまでもなく、異常に面白い作品だ。
ここまで女性の本音を明け透けに映す作品は珍しいし、
サディズムとマゾヒズムの相克を描く作品と言っても良いだろう。
また悪意に満ちた仕上がりも、
後年のイーストウッド作品 ( アンチヒーローとして「荒野のストレンジャー」73、「ダーティハリー」シリーズ、「許されざる者」92、「グラン・トリノ」08 ) に影響を残している。
南北戦争末期、
負傷した北軍の兵士をイーストウッドが演じ、
南軍側の寄宿制女子学園の少女から助けられるところから物語は始まる。
主人公の兵士は常に曖昧な男として描かれていることがポイント。
主人公は前作「マンハッタン無宿」の田舎刑事のように、
常に現れた女性を惑わして自分のものにしていく。
主人公は弱者を装ったドSで、
助けてくれた少女にいきなりキスをして虜にしてしまう。
それからはハーレム状態を形成!
特筆は幼少者から年増女まで、
年代別で順番に自分の虜にしてしまう異常ぶりw
負傷した主人公の施しをする女性たちは受け身 ( ドM ) と言う設定ながら、
積極的に主人公を奪い合うことで、
次第に自らが持つ本性と言うべきドSぶりを表していく。
ここで主人公の曖昧キャラが大きく意味合いを発揮!
ドSとドSの対決では物語にならないのだ。
主人公はハーレムを形成しつつも、
哀れ囲われた籠の中の小鳥として、
次の機会を狙う卑屈な男で描かれる。
ここで二つのインサートに注目したい。
ひとつは、
主人公の供述が曖昧なこと。
負傷した経過を語るカットが本人のモノローグによって二回程インサートされるが、
曖昧で自分を良く見せるための嘘なのか、本当のことなのかわからない。
二つ目は、
女子学園の園長にあたる年増女の妄想のインサートだが、最終的にはそうなってない。
複雑なシーンなので説明すると…
園長は主人公とのセックスを心から望んでいるが、
主人公は園内でハーレムを形成してる最中だw
インサートは、
彼女の主観で主人公との禁断のセックスを想像する画から始まり、
二人はベッドでキスをしている。
カメラが引くと二人の横に教え子の女が寝ていて、
中央の位置にいる主人公は教え子の方に振り向きキスを始める。
ここまでをカメラはワンカットで捉えいる。
園長の主観は主人公が振り向くことで客観となり、
さらに園長の客観は物語の設定上のイメージショットと化すのだ。
そのイメージショットは主人公の主観ショットと言っても良いだろう。
次のカットからは三人の 3Pプレイが映り、ワンカットで二人の人物の気持ちが主観と客観で互い乱れる!
効率の良い表現を行っている。
また、園長は兄とも近親相姦関係にあるとインサートによって説明される。
それは「夕陽のガンマン」のリーヴァン・クリーフ演じる男の過去説明のインサートから学んだものだろう。
物語のやり方が一緒だ。
ドSになっていく女たちに、
ドMのふりをした主人公が、
最終的なアイデンティティとしてのドSの存在を示すことで決着を着ける選択を選び、
本性を表した女たちにとっては、
事態の収拾を謀るためにも、
主人公をあくまでドMと規定する選択を行う。
ドSとドSの対決は多数決で決まり、
主人公は毒殺されてしまう。
学園は何事もなかったかのように様相を取り戻して、
惨めなドMの世界へと舞い戻る。
…なんとも凄い作品だ。
撮影のブルース・サーティースも素晴らしい。
閉じ込められたシチュエーションの中、限りない動きのあるカメラワークで物語のアクセントと陰影を付けた。
本邦初公開「白い肌の異常な夜 ストーリーテラー」は今で言うメイキングとドキュメンタリーを足した作品。
このイーストウッドのデビュー作で驚くことは、仕上がりのたたずまいだ。
簡潔かつクール、シーゲルの演出ぶりや ( 自分の企画である ) 作品内容を分析する語りは、以降の自らの作品を早くも示し表しているのだ。
□09年8月26日記 7月29日、
NFC大ホールでクリント・イーストウッド監督作「荒野のストレンジャー」73 / 米 と「愛のそよ風」73 / 米 の二本。
今回の特集で腰が抜ける程の衝撃と抜群の面白さを持った作品が「荒野のストレンジャー」だった。
流れ者イーストウッドを幽霊的存在として本作を語ることはすでに語り尽くされているので別の視点から書いてみたい。
全てが二重構造の設定、
そして二つのインサートが作品の成立を決定していることがポイント。
名無しの流れ者イーストウッドがふらりと休憩のためにある街に立ち寄り、
三人の無法者を射殺して、
街中のある事情に巻き込まれることから物語は始まる。
事情とは鉱山の利権のことで、
街は三人の用心棒を雇ったものの、
用心棒たちの増長によって街を支配されてしまう。
しかし、三人の用心棒は逮捕されてしまう。
街は再び三人の用心棒を雇い、
そして、再び支配されてる次第。
設定から二重構造。
やっかい者を退治した流れ者は歓迎されて用心棒に迎えられる。
逮捕されていた元の用心棒たちが釈放され再び街に舞い戻ることから、
その対策として雇われたのだ。
ここも更なる二重構造。
流れ者はホテルの部屋で横になると、
一つ目のインサートが入る。
物語の核心部になる街の過去で恥部の記憶だ…かつて街にいた保安官が三人の用心棒に鞭で殺される。
そのことを目撃していながら怖くて何も助けることが出来なかった街の住民たち、まさに見殺しだ。
そのカットが、
流れ者の記憶とは関係なく突然インサートされる。
もちろん観客不在で、
一体なんだろうカットだw
しかし流れ者はそのことで全てのことを理解するのだ。
それからは徹底した教育方法で住民たちを厳しく鍛え直し始める。
二つ目のインサートは、
街中でいちばん蔑まれてる小人の男が軒下からあることを見ていながら思い出す複雑な撮り方になっている。
現在形から過去形、
その過去を受けて、
先のインサートに直結して現在に戻るのだ。
保釈された三人の用心棒が復讐のために街に戻って来る噂が広まる。
小人が軒下から三人の乗ってる馬の足元を見るカット。
切り返しの見てる小人のカット。
再び用心棒たちのカットに戻ると、
そのカットは今見ていた現在形から、
小人の記憶としての過去形で映る。
ただこのカットの単独は現在でも過去でもない。
次のカット、
再び見てる小人のカットによって過去として成立する。
小人は軒下から乗り出して見つめる。
用心棒たちが保安官を鞭でなぶり殺している。
見殺しにしてしまう住民たちと小人自身。
小人が軒下から乗り出した次のカットからは…
小人の記憶と街の過去の説明、
一つ目のインサートの直結と説明、
そして最後に観客への説明となる。
小人の記憶から現在に戻るのは、
流れ者が立っている次のカットだ。
ここで流れ者は救世主となる。
流れ者は街中を総動員して三人の用心棒を迎え撃つ。
かつて用心棒たちが行ったように…
三人の用心棒を鞭でなぶり殺す。
目を凝らして見つめる住民たち。
トラウマを持った集団に対して、
再び同じことを繰り返すことでトラウマを克服させるシーンだ。
終わりも二重構造でw
つまりが、
集団の調教プレイじゃないか!
しかしトラウマは解消はしない。
再び調教を受ける喜びに気付いた住民たちは嬉々として物語は終わる。
そんな作品だった…恐ろしい。
先の三人の用心棒のリーダーに、
イーストウッド作品の常連になるジェフリー・ルイスが演じ、
殺される保安官には、
イーストウッド作品ではかなり重要な存在のバディ・ヴァン・ホーン ( 役者・監督・アクション担当など ) が演じている。
ホーンは「グラン・トリノ」ではスタント総担当といったクレジットだが、
「ダーティ・ファイター燃えよ鉄拳」80、「ダーティ・ハリー5」88、「ピンク・キャデラック」89 の監督を務めるマルパソ・プロダクション = イーストウッド一家の古株職人さんなのだ。
ブルース・サーティースの撮影も素晴らしい。
蛍光灯などない時代設定。
デイシーンでは、
室内の暗さに対比する窓外の明るさと室内には必ず赤色を入れる設計。
ナイトシーンでは、
画面に必ず緑か青色を入れている。
イーストウッドはインタビューで、
サーティースのことを、
構図の強さが彼の起用の要因と答えている。
「愛のそよ風」は際どい作品だった。
その際どさは全編でなく、
たった一箇所だ。
全編は上手く物語を破綻のない品格ある演出と演技で通している。
際どい一箇所とは…
主人公のおじ様が彼女となる少女と別れた傷心の日々に起こる。
交通事故で病院に駆け付ける主人公。
てっきりあの少女が事故に遭ってと思わせるが、
ベッドから頭を上げるのは少女ではなく、伏線のエピソードで登場した元カノなのだ。
そのことで主人公は心理の転換をするための…
少女との再会と生活を決意するためのマクガフィン ( ヒッチコック語 ) = フェイントのシーンとして、
一度、観客を裏切るのだ。
これがあることで、
ある意味つまらない物語も何故だか上手いことまとまってしまう。
イーストウッドが職人として上手さを発揮した作品だ。
あるいは嘘が上手いことの証明だ。
「荒野のストレンジャー」のインサートがそうだろう、そんな馬鹿だ!
□09年8月28日記

7月31日、
久しぶりのギンレイホールで「ホルテンさんのはじめての冒険」00 / ノルウェー / 監督ベント・ハーメルと「英国王 給仕人に乾杯!」07 / チェコ・スロバキア / 監督イジー・メンツェルの二本立。
年に一度くらい観にいく劇場で、
いつも満席で仕事帰りのOLをメインに幅広い年齢を動員している。
大半の女性が休憩時間に座席で食事をとってるのが印象的。
いっそロビーで弁当でも売ってみてはどうかw
「ホルテンさん~」は厳しかった。
この監督の作品は「キッチン・ストーリー」03 を小泉武夫さん ( 東京農大教授、発酵学で著名な自称UFO=味覚人放浪家 ) の講演付で観たことがある。
老人を主人公に静かなる活劇をやる志しは興味深く観ることが出来るが、
本作はいつかどこかで観たようなスタイルだけで終わってしまった感じ。
母親へのオマージュを捧げた分、
想いが強まってつまらない仕上がり。
ウイスキーを飲むシーンでサントリーの響が映っていた。何故だか嬉しい。
「英国王~」は復帰作。
しかし、本作は意欲的で欲張り過ぎた仕上がり。
鑑賞中は退屈しないだけで、
つかみどころのない凡作なのが辛い。
回想スタイルで主人公の若い頃から現在までを語る構成で、
個々のエピソードは面白いが終わり方が上手くない。
こんな人生、こんな時代を通して今の自分があるという終わりにしては主人公に魅力がない。
もっと突き抜けて欲しいかった。。

8月1日、
NFC大ホールで「続・夕陽のガンマン 地獄の決闘」66 / 伊 / 監督セルジオ・レオーネ。
イタリア映画大回顧2001で二度観て以来の鑑賞。
今回はイタリア語版ではなく初めての英語インターナショナル版。
だからイーストウッドの肉声は初めて聞くことになる。
プリント状態はまあまあで後半に少し傷あり。
何度観ても面白い傑作!
作品のヘソは、
砂漠の中で瀕死の軍人から金庫の在り処を聞き出すシーン。
トゥーコ役のイーライ・ウォラックの隙を付き、
絶対動ける状態ではない金髪ジョー役のイーストウッドが、
何故だか金庫の在り処を先に知ってしまうところだ。
正確にはここからが物語の始まり、
そして完結の寸前とも言っていいだろう。
トゥーコのキャラがとにかくいい!
神父の兄との別れるエピソードにはいつもキュンと涙。。
受け役のイーストウッドの表情も最高だ!
近く公開される韓国映画「グッド・バッド・ウィアード」08 / 監督キム・ジオン は本作のリメイクでレオーネに捧げた作品らしい。
とりあえず観てみよう。

□09年9月7日記

8月3日、
シネマヴェーラ渋谷の古典クラシック16ミリ上映で念願の「ならず者」43 / 米 / 監督ハワード・ヒューズを観る。
ハワード・ホークス監督作の一部と言っていい作品。
ホークスが話しを作り ( 脚本はジュールズ・ファーマン!) 、
撮影の途中で製作のハワード・ヒューズと監督を交代をしている。
ホークスが監督をしていたらどんなに素敵な作品になったかと思うが、
それでも魅力的で素晴らしい仕上がり!
早撃ち2丁拳銃ビリー・ザ・キッドとギャンブラーのドク・ホリディ、
そして保安官パット・ギャレットの物語。
三人の恋愛映画になっていたことに心から驚く。
男同志の心理劇 = 感情が恋愛関係に映っているのだ。
ゲイの関係を描いてるのではなく、
結果そうなっているのだ。
保安官の街に戻って来た古くからの友人ギャンブラー。
そこに若い男キッドが現れて、
ホリディはキッドに一目惚れ。
保安官は二人の関係に嫉妬する。
ヒロインのジェーン・ラッセルは二の次 三の次で邪魔者扱いw
三角関係と対決の末、
キッドが生き残り、
ホリディは死んで、
保安官パット・ギャレットは手錠で柱に括られる。
その柱はシンボリックで巨大なペニスのメタファ。
保安官の老いらくの恋の果てが無残ではしたない姿で映し出される。
ホリディの死に際、
保安官に言葉をかけるが、
その時の保安官の嫉妬に満ちた顔は忘れ難い。
保安官役のトーマス・ミッチェルは、
アイルランド移民の名優。
ジョン・フォード監督の「駅馬車」39 でアカデミー助演男優賞受賞や刑事コロンボを演じた最初の俳優でもある。
「風と共に去りぬ」39 / 監督ヴィクター・フレミング の父親役も印象深い。
ホークスでは、
最高傑作のひとつ「コンドル」39 のキッド役と、
フォードでは、
ユージン・オニール原作「果てなき航路」40 の自滅する船乗り役で、
グレッグ・トーランドの撮影と共に最高だ!
「ヒズ・ガール・フライデー」40 や「僕は戦争花嫁」49 など、
ホークス映画のジェンダーの転換については、
NFCで開催されたホークス回顧上映時のパンフレットに詳しく書かれている。
ホークスの代表作のひとつ「赤い河」48 でもジェンダーの転換は明らかだ。
マッチョイズムの権化的ジョン・ウェイン扮する巨大な父親像に反発する若者との葛藤を描く西部劇大作。
物語は、
次第に母性化していく父親を描く。
反発と言う物語の返しは、
愛することで若者の成長を示し完結する。
山下耕作監督が描く鶴田浩二像に近いと言えるだろう。
簡単に言えば男性のおばさん化だ。
嫉妬深く手に負えない男おばさんのわがままとその変化は愛情からと…
物語構造は世界共通のモチーフだ。
「ならず者」はホークス作品ならずもホークス的な求心力のある映画、
これぞ作家性!

8月7日、
シネマヴェーラ渋谷で古典クラシック「バルカン超特急」38 / 英 / 監督アルフレッド・ヒッチコック と「ラヴ・パレード」29 / 米 / 監督エルンスト・ルビッチ の二本立。
「バルカン超特急」はミステリーサスペンスの見本、手本の仕上がり!
作風の少しゆったりした感じとユーモアと登場人物のキャラの作り方は今でも古さはない。
本作で知り得るリメイクが二本ある。
ヒッチ映画のリメイクは失敗作が多いがこの二本はどちらも拾いもの。
「大陸横断超特急」76 / 米 / 監督アーサー・ヒラー と「レディ・バニッシュ 暗号を歌う女」79 / 英 / 監督アンソニー・ペイジ だ。
とくに「大陸横断超特急」はオススメ!
ルビッチ「ラヴ・パレード」は期待ほどワクワクする作品ではなかった。
ハリウッドに招かれてからのトーキー作で映像と音楽を組み合わせたオペレッタ映画の先駆けとして有名な作品。
シネ・オペレッタのジャンルを創作、
その後のミュージカル映画を考えると重要な作品なのだが、
物語が前半で終了してるために魅力が半減。
オペレッタシーンはドキュメンタリーかと思うほどの生々しい変なサスペンスを産む。
ルビッチ映画の良さは、
ドイツ表現主義からのセットの面白さ ( とくに天井が高いところ ) と、
人間性と非人間性のめりはりから産まれる緊張感の笑いだ。
マンハントと言うヒッチ的な主題で、
女王の婿探し物語のバランスが上手くいかなかった。
主人公 = 主体 ( 女王と婿 ) が並列になり過ぎてしまい、
物語を窮屈なものにした感じ。

□09年9月8日記

8月9日、
新文芸坐で大都映画 ( 戦前、西巣鴨にあった撮影所 ) の無声映画特集に行く。
全てトーキー版での上映で、
「市川右太衛門傑作場面集」83 / マツダ映画社 、
「旗本退屈男」30 / 監督: 古海卓二 、
「錦絵江戸姿 旗本と町奴」39 / 監督: 森一生 ※ トーキー作品、
「大河内傳次郎傑作場面集」83 / マツダ映画社、
「御誂治郎吉格子」31 / 監督: 伊藤大輔 ※ 現存79分版 。
いつもいっぱいの新文芸坐だが、
さすがに無声映画だけに観客は半分くらい。
この劇場の特徴は中高年や老人が多いために休憩時間の男子トイレが異常に混む。
大行列が出来るために上映時間が少し押すこともある。
本来は女子トイレが混むが、ここは逆w どうしてか? 一人ひとりのおしっこに時間がかかり過ぎてしまうからだ。
でもトイレの清掃はしっかりしていて劇場の営業努力がうかがえる。
老舗名画座のおもてなしだ。
「旗本退屈男」は記念すべき第一作。
短縮版でも右太様の御姿は輝かしい。
セットの作りが戦前と戦後では違うことに気付く。
間取りが狭く天井が低いのだ。
照明、ライトの光量のことや役者の身長はそうだろうが、
他にどんなことがあるだろう。
戦前の映画はいい勉強になる。
森一生作品はトーキーものだが、
サウンドが復元出来ず、
83年になって活弁トーキー版にされての上映。
出来の良い兄 ( 旗本 ) と出来の悪いやくざな弟 ( 町奴 ) の兄弟喧嘩が兄の嫁取り騒動の物語によって描かれる。
ラストもいい大人の兄弟が子供のように取っ組みあって周りを呆れさせる。
今の若い監督に多く見られる作風で脱力系の仕上がり。
今との違いは、
演じる側への視点の置き方だ。
今の監督たちは面白いと思って直接的に演じさせているが、
森一生は間接的に愚かさと愛情を通して演じさせている。
言わば大人の視点の有無の違いだ。
伊藤大輔「御誂治郎吉格子」は11年後に自ら「治郎吉格子」52 と言うタイトルでリメイクしている。
サイレントの本作の方が面白いが、
松竹京都のトーキーリメイク版も悪くはない仕上がり。
主人公の鼠小僧に長谷川一夫が演じているためにべったりした印象の違い。
でも違いは映画の持つ固有性だと思う。
映画はサイレントから始まって、
全ての表現は画面によって演出、説明されている。音声もそうである。
伊藤大輔は戦前からの大監督で、
サイレント時代に演出を完成させている側の監督だ。
映画のエクリチュールが既に成立していて、トーキー版を観るとサイレント版の説明に終始してしまうからだ。
24年「酒中日記」で監督デビューして以来、70年の遺作「幕末」までの87本の監督人生は大変興味深い。
フィルムの損失で大半が観れないからだ。伊藤、山中、加藤泰…嗚呼!
日本映画は豊かで奥が深い。
そしてそこが日本映画の良さであり、
豊かさだと思う。
今日でもっとリッチで必要なものは豊かさ以外にない。

8月13日、
シネマライズBFで「バーダー・マインホフ 理想の果てに」08 / 仏独チェコ / 監督ウリ・エデル。
ドイツ赤軍RAFの創成と活動、
その終焉までを描くドイツ現代史映画は大変面白く観れた!
作品はハードな描写で武装派テロリストグループのテロ行為と人間関係 ( 人間性を描かなかったのは正解だと思う ) を描きながら、
あることを問いかける。
ブルーノ・ガンツ演じる警察省長官は、取り締まっても次々と現れてはテロリズムに走る若者たちに対して、
何故そんなことが起こるのか?
我々 = 体制側は今の立ち位置でいいのか? と疑問を感じてしまう。
仲間の警察官僚たちに取り締まるだけでは解決しないのではないか? と発言するが一笑されてしまう。
長官は正直な心配と根本的なテロ根絶にあたっての考えに行き着いた瞬間だった。
この視点があって作品は成立した。
問題は長官の悩みのように、
アルカイダやタリバーンまで今日に結びついているからだ。
この作品の立ち位置はドイツ赤軍側にある。
そのことにあらためて驚きと共感を持つ。
若松孝二監督「あさま山荘への道程」07 にはその視点がなかった。
連赤に走った若者たちの人間性と関係性を執拗に描き、
自滅は『勇気がなかったからだ!』と次世代の若者ゲリラに語らせる。
検証映像としてはありだろうが、
伝わらない。
これでは保守や体制側は鼻もかけないだろうし、
保守言論界からは自虐主観主義の成れの果てと言われても仕方ないだろう。
決して武装蜂起のテロリズムを肯定するものではないが、
「バーダー・マインホフ 理想の果てに」が示した長官の悩みと呟きは、
しかと受け止めてみたい。

□09年9月9日記

8月14日、
シネマヴェーラ渋谷で16ミリクラシック特集「覧婁 ( らんる ) と宝石」36 / 米 / 監督グレゴリー・ラ・カーヴァと「無謀な瞬間」49 / 米 / マックス・オルフュス。
グレゴリー・ラ・カーヴァはハリウッドの戦前からの喜劇監督。
本作はカーヴァ後期の作品で、
女優の魅力を引き出すことに長けた監督のようだ。
物語は、
大恐慌時代に知り合ったホームレスの主人公 ( 実は金持ちの御曹子 ) と金持ちのヒロイン、そしてその家族の危機を救うまでが描かれる。
明快な演出と登場人物の裁きに驚いてしまう。
極端な金持ち家族のキャラ設定でただならぬ面白さと共に、
アイロニーが溢れ出し、
やがてハッピーエンドが訪れる。
癖のある登場人物たちの自由奔放な思惑を右から左に、
主人公に跳ね返らせてウェルメイドに裁く演出力は立派!
室内セットの下から上、上から下への移動撮影とタイミングも素晴らしい。
マックス・オルフュスは、
ユダヤ系ドイツ人の亡命監督。
戦前ドイツで監督デビュー後にナチスの台頭からフランスへ→ルイ・ジューヴェの支援でスイスへ→ハリウッド→フランスへと移り住んだ。
本作は不遇だったハリウッド時代 4作品からの一本。
ジョーン・フォンティーンの「忘れじの面影」48 や遺作のローラ・モンテス!「歴史は女で作られる」55 など好きな作品だが、
常に空虚さが付きまとう作風はなんだろう?
詳しくは梅本洋一さんの批評 [ 1983年刊の夜想8・亡命者たちのハリウッド ] に書いてある。
「無謀な瞬間」は不遇さに支えられたブルーなテイストの仕上がり。
物語は、
夫の留守中に娘の悪い恋人が家のはなれで事故死。
朝に遺体を発見した主人公の母親 ( ジョーン・ベネット ) が遺体を引きずりながらボートに乗せて河に破棄してしまう。
その秘密を知り、恐喝しながらも人妻に惹かれていくチンピラ ( ジェイムス・メイソン ) とのメロドラマが陰気に描き出される。
チンピラと人妻の、
共に交じり合わない一本通行の想いは極限まで悲しくて退屈だ。
内面から滲み出る陰惨とでも言うべきか。

8月16日、
サントリーホール大ホールの [ いま無声映画を甦らせる・ 声優口演ライブ ] に行く。
以前、配給宣伝を担当した「東洋宮武が覗いた時代」08 / 米日 / 監督: すずきじゅんいち の日本語吹き替え版の制作でベテラン声優の羽佐間道夫さんに出演してもらった縁から、チケットを頂いて観に来た次第。
催しの試みはユニークで楽しいひと時が過ごせた。
スタートは太鼓演奏者・林英哲の太鼓で「幾つもの頭を持つ男」1898 / 仏 / 監督ジョルジュ・メリエス に音を付ける試み。
メリエス扮するマジシャンの手品ショーを撮影技術で観せる短編。
林英哲は鬼太鼓座を脱退直後の独立演奏を聴いて以来の隠れファン。
ソロ活動して25周年と言うことは、
25年ぶりに生演奏を聴いたことになるか、時間とは速いものだ。
次は山寺宏一による「チャップリンの冒険」1917 / 米 / 監督チャールス・チャップリン の一人何役口演。
スラップスティックな笑いは不滅。
しかし山寺宏一はよくしゃべるw
最後は羽佐間道夫さんと戸田恵子の口演で「キートンの探偵学入門」1924 / 米 / 監督バスター・キートン。
シネフィルには堪えられない愛おしいサイレント映画の傑作。
映画館から始まり映画館で終わり、
その間には様々な映画のジャンルが映っていく。
ラブロマンス、コメディ、ミステリー、アクションが行進!
そして主人公の映写技術キートンは恋人を得る物語。
映画のフレーミング / フレーミングの映画を最初に決めた作品。

□09年9月14日記

8月22日、
新文芸坐で「ひめゆり」06 / 監督: 柴田昌平と「ヒロシマナガサキ」07 / 米 / 監督スティーブン・オカザキ のドキュメンタリー二本立。
「ひめゆり」は評判倒れの仕上がり。
編集のツメが甘くて、
監督や出演者の尊い想いを感じる分、損をしている。
15~20分切るだけでガラリと印象が変わる作品だ。
静かなる闘志と祈りのメッセージを持つ内容なので実に惜しい。
これだけ長く上映しているのだから、
誰か ( 映画館の人でも ) 編集をやり直せと注意した方がいいと思う。
センスの問題だ。
そしてセンスで持ってると言うべきは「ヒロシマナガサキ」だった。
「ひめゆり」を観た直後なので編集の大切さを実感してしまうが、
センスの良さは監督の資質によるものだろう。
被爆者の現在と、
何故、原爆は落とされたのか?
戦勝国アメリカの意識、
被爆の後遺症を綴る明快な構成で観るものを釘付けにしてしまう仕上がり。
証言する被爆者を正面からフィックスで捉えた画面には何か不思議なものを感じた。
それは不自然と言ってもいい程のフィックスで変に引っかかるが、
監督が無理に注文してポージングさせたとは考えられない。
画面の情報はこれからインタビューを行う相手を引きで撮ってるだけだ。
そこが監督のセンスだろう。
物語性とは言わないが、
登場人物に対して何かを加えている。
そこの何かは、
観て感じ取って欲しい。

8月24日、
再び新文芸坐で今村昌平監督と緒形拳の追悼上映「楢山節考」83 と「復讐するは我にあり」79 の二本立。
「楢山節考」は封切以来の再見。
今村監督の軌跡から改めて新しさを観ることはない。
むしろ小動物や虫などの生き物のアップに頼り過ぎる感じがした。
と同時に、
常に生き物をドラマの人物と一緒に入れ込む画面に撮影のただならぬものを感じて驚愕と感動を覚える。
当たり前に元から映っていることに気付かせる。
やはり過去の作品を見直す作業は大切で作家の画面を見失ってはいけない。
「復讐するは我にあり」の重厚でリアルな演出は何度観ても引き込まれる。
父親役の三國連太郎とのラストの親子対決はやはり凄い。
と同時に、
物語終了のための説明シーンになっていることに気付き、少しシラけた。
気付くと反省を学んだ。

□09年9月18日記

8月26日、
アテネ・フランセ文化センターで「大番」シリーズ4部作一挙上映から、
2作目「続大番 風雲編」57 / 監督: 千葉泰樹。
混むかな?と心配したがそこは平日、
40人くらいの動員。
本シリーズは閉館した浅草東宝オールナイトの定番番組だった。
最後に観に行った記憶は…
03年5月10日の川島雄三特集で、
秀作「花影」61、「接吻泥棒」60、「人も歩けば」60、「赤坂の姉妹より 夜の肌」60 の4本立!
オールナイトは4本立が調度良い。
四国宇和島の寒村から主人公ぎゅーちゃんこと牛之助 ( 加東大介 ) が上京、
株の相場師となり波乱万丈の立身出世物語。
第一作目同様、主人公の人生の上がり下がりをユーモアを交えて明朗に描く。
千葉泰樹監督は無駄のない演出で物語を端的に描く職人。
オーソドックスな演出は個性のなさを感じるのではない。
個性なき演出こそが職人の本分であり、それが強固な演出であると言うことを感じさせてくれる。
個性とはそれが出来てからで願いますと言う基礎ベースのレベルの違い。
個性と作家性の違いが分かる玄人好みの作風から見えてくるのは、
昔の撮影所の監督たちは本当に凄い!
翌日上映の「続々 大番 怒涛編」57 と「大番 完結編」58 を見逃してしまい、次の機会を待つことに…残念!

8月28日、
日劇 3 レイトショーで「96時間」08 / 仏米 / 監督ピエール・モレル。
リュック・ベッソン率いるヨーロッパコープ製作のアクション映画は、
ベッソン自身より才能がないと思うC級監督にDVDパッケージ用C級アクションを量産させてワールドセールスしてるような感じで、本作もその一本。
せめてもはリーアム・ニーソンが主役だと言うだけ。
別居中のバカ娘が友達とパリ旅行し、
売春組織に誘拐されてしまう。
元工作員の父親ニーソンは過剰反応で娘の旅行を心配、
そして過剰反応で娘を奪還する物語。
そこにタイムリミットを設けてサスペンス性を高める仕掛けだが、
頭の悪い演出でハラハラしない。
目的行動がはっきりしていて、
父親に悩みはない。
容赦ない父親を殺人鬼として描くことで盛り上げるアッパーな演出にはセンスが必要。
そんなセンスなどお構いなしにロボコップ状態のヒーローは突き進むだけだ。
そんな主人公だから、
間違えて救うはずの娘を殺してしまうと面白いのだかw
そんなセンスはなくて、
ラストで娘が助かっても感動はない。
父親が娘を助けると言うシンプルなベースがセンスの無さによって捻じ曲げられた結果の仕上がり。
話変わって…
先日のシンガポール映画祭に続き、
ラテンビート映画祭もそろそろ開催される。以降も、キューバ、ブラジル、ケベック、ドイツ、東京国際、フィルメックスなどと続々続いていく。
ラテンビート映画祭は作品レベルが高くて油断出来ない催し!
ラテンビートフィルムフェスティバルやスペイン・ラテン映画祭から名称をラテンビートに変更、
劇場も青山スパイラルホール、アミューズCQNを経て、
今の新宿バルト9 となる。
主催及びプログラミングディレクターはアルベルト・カレロ・ロゴ。
05年から欠かさず通っていて、
記憶に残る素晴らしい作品が必ずあって…
「ヒステリック・マドリッド」04 / スペイン / 監督チェス・グティエレス、
傑作「7人のバージン」05 / スペイン / 監督アルベルト・ロドリゲス、
「バイオリン」07 / メキシコ / 監督フランシスコ・バルガス・ケベト、
「ファド」07 / スペイン / 監督カルロス・サウラ
などは誰か是非公開して欲しい作品!

□09年9月23日記 9月5日、
シネマート六本木でシンガポール映画祭のエリック・クー監督特集から第二作目「12階」97 / シンガポール 。
注目すべきミニ映画祭なれど告示の遅れで動員は厳しい状態。
近年アジア監督の台頭が素晴らしい。
それでも本当に才能を感じる監督はごく僅か。
韓国のパク・チャヌク、キム・ギドク、ソン・イルゴン、
香港のダンテ・ラム、ジョニー・トー、アン・ホイ、
中国のロウ・イエ、
タイのアピチャッポン・ウィーラセクタン、
先日急死したマレーシアのヤスミン・アフマド、
そして今回のエリック・クーぐらいだろう。
出会いは、
TIFF05 アジアの風で上映された「一緒にいて」05 から。
全く情報がないままに観て驚いた!
友人たちにも慌てて観てもらうと感動と驚きの声が上がる。
その発見は本物だった。
その後、エリック・クー監督のことを知りたいと思い、当時のTIFFアジアの風 プログラミングディレクター暉峻創三氏とフィルメックスの市山尚三氏にリサーチ。
もし上映するための権利を買い付けしたいのであれば、共に紹介しますよと言う答えを頂いた。
未だ実現はしてないが、
「一緒にいて」はアジアエリアで劇場公開していないのは唯一日本だけらしく、何とかならないかと思っている。
エリック・クーはシンガポールにインディーズ映画の到来を告げた新鋭監督。
デビュー作「ミーポック・マン」95 はシンガポール、釜山、福岡の各映画祭で受賞、
今回観た第二作「12階」はカンヌ国際映画祭で上映された初のシンガポール作品。
そして約8年のブランクを経て傑作「一緒にいて」を発表。
その間は新人監督デビューのためにプロデュース活動を行っている。
まだ観ていないがプロデュース作品「愛を探すこどもたち」08 / シンガポール / 監督ブライアン・ゴソン・タン は今回上映されている。
市山氏によると短編作品もかなり凄いらしい。
最新作は、
昨年のTIFF08 アジアの風で上映された「私のマジック」08 。
昨年度のカンヌ国際映画祭コンペ部門とアカデミー賞外国語部門に選出。
現在、新作の撮影中との情報も聞いている。
本作の感想は「ミーポック・マン」を観てから詳しく決定版の感想を記したい!
移動して、
TOHOシネマズ六本木ヒルズで新作を二本。
「20世紀少年<最終章>ぼくらの旗」09 / 監督: 堤幸彦 と「サブウェイ 123 激突」09 / 米 / 監督トニー・スコット。
映画シリーズ最終章は有名な漫画の映画化。
しかし原作も作者も全く知らない。
向学もあり鑑賞してみたが…
観てからも、観る前も、
期待してるとか、面白かったとか、
誰からも聞いたことがない。
堤作品は何作か観ているが、
どの作品も魅了されたことはない。
ディテールの少しがクスリとなる程度の仕上がり。
近年の日本映画バブルの恩恵に恵まれた典型で、今のテレビサイズの日本映画を象徴、最近はとくに御用監督の臭いがする。これから5年以内が映画監督としての賞味期限だろう。
物語は、
子供の頃の妄想を大人になって実現させる話しと、
善と悪が入れ替わっての勧善懲悪の地球征服話しを誇大妄想的に語る。
以外にも、大きな物語に今だ縛られたものだった。
まだこのてが通用することに驚く!
平板で都合のいい演出や時代錯誤でオーバーな役者のヘタな演技など霞んでしまった。
大不評だった試写会でのラスト10分を観せない方針は、
実際の劇場での観客にも不評で、
原作にないと言うラストの10分は必要なかった。
深夜のヒルズでは面白い現象が起こって…観客がラスト10分を観てドン引きしてしまったのだ。
ラスト10分を理解出来なくて、
何が映っているのか分からないと言う声が上がって来た。
それはそうだろう。
タイムスリップして子供の頃に戻り、
あの時自分はこうしていれば、
全三部作で描いたようなことは起こらなかったよ、と過去を修正していくエピローグを入れられてもなぁw
それも勇気とかヤル気次第では未来も変えることが出来るんだよと、青春テイストで閉められても、、
いったい今までは何だってー??
未熟で自己満の結末にヒルズの観客は確実に困っていた。
最終章の仕上がりは、
日本人的な神経症と潔癖性が露出した結果かなと…トホホ。
気を取り直して「サブウェイ・パニック」74 / 米 / 監督ジョセフ・サージェントのリメイク版にホッとする。
監督のトニー・スコットはまだまだ兄貴のリドリーには及ばない評価だが、
近年は腕をあげてるように思う。
「スパイ・ゲーム」01 や「カジノ」05 は悪くない。未見の「デジャブ」06 は噂のトンデモ映画らしいけどw
前作の汚職地下鉄職員ウォルター・マッソー役をジョン・トラボルタ。
どっか吹っ切れた演出とアップ多用のカメラワークのC級感。
リアリティを客観から主観に、
主観を客観にと瞬時交差させる編集がヘソの作品。
思うに、
兄弟共々とても性格が良いようだ。
作品がどうしても素直になってしまう仕上がり。
監督は嘘つきで腹黒いのが魅力なのにねw
最近、スコットの再評価と言うか、
評判がとても良いが、
それは偏った贔屓な評価か錯覚だと思う。
それほどの監督ではないだろう。
ラリって撮ってるんだし、
センスはMTVレベルだよ。
□09年9月24日記 9月7日、
佐田啓二特集の神保町シアターで「丼池 ( どぶいけ ) 」63 / 監督: 久松静児。
原作は菊田一夫、脚本は藤本義一、
そしてシネスコ、宝塚映画だ。
脇を先に挙げると新珠三千代、浪花千栄子、森光子、立原博、山茶花究、そして中村鴈治郎。
映画好きならワクワクしてしまう。
神保町シアターでは上映中、
役者が登場するだけで笑いや小さな歓声が聞こえてくる。
昭和の映画がもっとも輝いていた空気感や息づきが存在しているのだ!
だから入場者の動員が増えるのも納得だ。素晴らしいと同時に映画館として出来上がった印象。
物語は、大阪の丼池筋が舞台。
金融商の司葉子とどケチ高利貸の三益愛子の確執をベースに、
老舗店舗の倒産劇を面白おかしく描く隠れた秀作。
老舗店の番頭に佐田啓二、
ダメ主人を鴈治郎が演じている。
そこに、ただでは転ばないすれっからし役の新珠三千代を絡ませて、
えげつない浪花商売の悲哀とバイタリティを映し出す。
本作では「暖簾」58 / 監督: 川島雄三 や「大番」シリーズのような、
ど根性で生き抜く浪花商人の姿を描く年代記ではなく、
限られた地域で逞しくも、
したたかに生きていく庶民たちの生き様に視点を置く。
三益愛子の強烈な個性ぶりは、
その後「がめつい奴」60 / 監督: 千葉泰樹 でさらに爆発開花。
久松監督 ( 1912年の明治生まれ!) は人間味豊かな群像をスケッチ風に描かせると抜群に上手い。
今東光原作「みみずく説法」58 、
「河内風土記 おいろけ説法」61 は何度観てもおもろい!隠れた秀作シリーズだ。
□09年10月2日記

9月8日、
シネマート六本木シアター4 のシンガポール映画祭・エリック・クー監督特集からデビュー作「ミーポック・マン」95 。
ぴあ所有 35ミリフィルムの上映はありがたい。
エリック・クーの魅力は、
説明カットがなく、
基本フィックスの画面であること。
プラス、セリフを極力排除、
役者は全て素人からキャスティング。
画面で全てを表現する、
基本的でオーソドックスなスタイルの突き止め方から見えてくるものは、
監督のまなざし ( 視点 ) だ。
4作品「ミーポック・マン」、「12階」97 、「一緒にいて」05 、「私のマジック」08 に共通する主題は、
人と人がふれあうこと。
そのことが最大で最高のコミュニケーションと伝えてくれる。
「ミーポック・マン」のふれあいは、
麺料理 ( ミーポック ) 店の孤独な青年が好きになった商売女との別れによって語られる。
事故で瀕死になった彼女を自分の部屋で助けていると、
青年の幻想で彼女とふれあって楽しんでいる自分が映る。
すぐに現実に戻るが、
その後、カットバックして、
彼女の部屋で元気な頃に彼女を見ている自分が映るカット。
もちろんセリフはない。
次はシャワー室で泣き明かす青年のカットが入る。
そして彼女が死んだことがゆっくりと示される。
室内の少し高い位置から撮られたフィックスの長回し。
パンツ姿の青年が壁に寄りかかったグリーンの物体の一部 ( 手 ) に触れる瞬間までを映し出す。
死んで相当の時間が経ったこと、
そして変色した彼女の遺体だと気付かされる。
切なく悲しい青年のふれあう時間は、
安らかな表情をはっきり映し出して終える。
もう一つ気付くことはカメラの置かれた位置。
それまでに4回出て来るが、
青年の父親の遺影が掛けられた位置からの視線だろう。
死者からの視線、
父親はいつまでも息子のことを心配して愛情を持って見つめていることを示す。
5回目の遺影に青年が礼をするシーンには、椅子に座った父親が映る。
4作品に共通する裏主題は、
見つめる死者、死者からの視線だ。
こうしてエリック・クーは、
デビュー作で自らの主題をすでに完成させていた。

" ……ずっとずっと一緒だから、
見つめて欲しい……"

「12階」のふれあいは、
主人公の青年の自殺から始まる。
彼が住んでいたマンションの住民たちとふれあっていく。
兄、長女、次男の三兄弟。
生活に不自由はないが、
神経質な兄に振り回される兄弟たち。
浮気妻を持つブ男の旦那、
嫉妬で喧嘩ばかりしている。
暇でたむろしてる男たち。
家庭に居場所がない夫たちだ。
そして、いつもババアに口うるさく罵られている巨女。
何も話すことなく、命令のまま家事をこなす。
( 死んだ ) 青年のまなざしは、
彼や彼女らの孤独や疎外感に注がれる。
生前の姿で画面に映り、住民たちには見えない。
責任感が強く、父親のような存在として支配したい童貞の兄。
彼の一方的な愛情は下の二人には通じない。
ブ男の旦那は冷たくされても、
浮気妻に哀願する。
彼女は中国にいる実夫のために、
旦那を利用して国籍を取る企みだ。
居場所のない夫たちの居場所は、
集まって酒を飲むことでしかない。
たわいない噂話で時間を潰す。
巨女の部屋では、いつものようにババアが ( 画面の ) 正面に向かって、
叱り罵る。
ここでエリック・クーは裏主題を披露する。
ババアの姿は巨女の心の中の映像であることがわかる。
ババアは以前から死んでいたのだ。
死者同志の青年とババアは交じり合うことはない。
巨女の主観だからだ。
巨女はかなり参っていて、
独り泣き沈む。
ブチ切れた兄は、
長女を公園で撲殺する頃、
巨女は青年と同じように飛び降り自殺を試むが、思いとどまる。
それは祈りのような青年のまなざしが通じたからか?
いや、そうではないようだ。
涙を浮かべた彼女の瞳には生きる決意が見える。
青年は注意深く、
彼女にまなざしを送ってみた。
微かな微笑みの中に、
惨めな自分を捨て生まれ変わる希望がはっきりと見えたからだ。
見事なふれあいの切り返しだった。

"……何も出来ない。だからだから見つめ続けるよ……"

「一緒にいて」のふれあいは、
3組の人物たちが主人公の教師を通して交差する物語。
レズの女子高生、ガードマンのデブ男、障害一人ぼっちで二重障害者の老女 ( 話すことも出来なくて眼もほとんど見えない実人 ) 。
孤独や疎外感が溢れ出し、
それぞれのケースでふれあうまでが語られていく。
女子高生はクラスメートとの一方的な恋愛に悩み、
デブ男も高嶺の花でOLに恋をしている。
共に家族との関係は最悪で、
告白出来ない胸の内は苦し過ぎる。
教師はボランティアで老女の部屋を訪れ、手作りのお弁当を届けている。
老女は定期的な訪問を楽しみにしている。
教師には雑貨屋を営む父親がいて、
母親が亡くなってからは、
生きる意欲を失って休業状態。
教師はどこか頑なの父親が心配だ。
本作も裏主題が映し出される。
亡くなってる母親が食卓に座り、
父親が妻の口元に食事を運んでいる。
息子には見えないが、
父親には見えているのだ。
この父親の主観は、
前作「12階」の巨女の設定と同じ。
父親の心の中では、まだ妻が死んだことを認めていない。
最愛の相手の不在から逃避した状態だ。
息子は父親に老女のプロフィールを渡して、彼女のために ( 父親自身のために ) にお弁当を作って欲しいと頼む。
物語の後半は老女の半生を語り始める。生い立ちから今日までの写真や映像に字幕 ( 彼女の説明 ) が入る。
ナレーションや台詞はない。
説明シーンを拒否する説明と言うべか、ドキュメンタリーのナレーションが消去されて、無音でテロップが入る感じだ。
冒頭からのタイプライターを打つアップが彼女自身であることに気付く。
それは父親に渡ったプロフィールだ。
お弁当作りを了解した父親に、
母親は ( 嫉妬で、自分だけを見つめて欲しかったのか ) 、
老女のプロフィールを机の上から落とす。凄いシーンだ!
そして妻は最愛の夫と二度目の別れを告げる。
二人の切り返しは実にせつない。
と同時に、
父親には再生の瞬間だった。
翌日、女子高生は絶望して飛び降り自殺をする。
彼女の身体は偶然真下を歩いていたデブ男を直撃する。
デブ男は勇気を出してOLにラブレターを届ける途中だった。男は即死、
彼女は一命を取りとめて病院に運ばれる。
そして息子は彼女の担当教師だった。
父親は老女のために数々のお弁当を作り、息子は老女の部屋にお弁当を届ける。いつものお弁当とは違い、大変美味しいと喜ぶ。
彼女の見た目で数々のお弁当のアップがオーバーラップで映し出されていく。
お弁当は次第に豪華になり量も増えていく。
この単純なカットの積み重ねが、
本作でもっと驚異し感動した瞬間だ。
お弁当の質と量、
そのオーバーラップで、
老女の気持ちと、
生き甲斐 ( お弁当を作ること ) を取り戻していく父親の気持ちが映し出されるからだ。
映画は怖いと思う。
二人 ( の気持ち ) を取り持つ物で、
二人を直接映さないで、
シンプルな表現力で感動させてしまう。
デジタル合成とか最新技術でなく、
シンガポールの監督はまだまだ映画表現の可能性が残っていることを示してくれた。
ブリュノ・デュモンが言う…
『映画の可能性はまだ始まったばかりだ』との発言はこのことを示す。
教師は父親に、
教え子が事故に遭い病院に駆けつけるので、代わりにお弁当を老女に届けて欲しいと頼む。
父親がお弁当を持って部屋を訪れると、老女は気配で教師の父親であることを理解する。
お弁当を渡して帰ろうとする父親を老女は引き止める。
自分が作るお弁当を食べていた相手の姿 ( 生き甲斐と彼女の現実 ) を始めて見た瞬間、父親は感情が溢れ出して、
涙がこぼれ落ちてくる。
監督のやさしさだろう、亡き妻のカットがインサートされる。
二人 ( 老女と父親 ) は親しい間柄のようにただふれあう。
ここに言葉は生まれない。
感情だけが映っているだけだ。

" Be with me …
一緒にいて、一緒にいて欲しい "

ここ何年かで観た映画でもっとも美しい傑作です。

今年5月の東京日仏学院プログラム < カンヌ映画祭監督週間 > ではフィルム上映だっただけに、今回のDLP上映は残念。

「私のマジック」のふれあいは、
元マジシャンの父親と10歳の息子を通して描かれる。
デブでアル中のダメ男の父親はナイトクラブで掃除夫をしながら生計を立てている。
冒頭、ガンガン酒を飲み干し、
酒代が払えないのでいきなりグラスを食べ始めるシーンにはドッキリ!
これまでの作風とは少し違うことを示す。ハードさが増した感じだ。
父親は部屋に帰ると大量のゲロを血と一緒に吐き出す。
妻の死去からアル中になってしまい、
マジックも封印して自暴自棄の生活。
そのために息子は自活を強いられている。クラスメートからお金をとって宿題を見ているのだ。
じつは祖母が面倒を見ていたが、
少し前に亡くなっていた。
しかし、そのようなシチュエーションは説明されることはなく、
画面の端々に映る情報から読み取らなければわからない。
前 3作品よりも、
最も短い上映時間 77分からは、
積極的に先鋭化の表現を進めてるように思う。
息子から尊敬と愛情の回復を願う父親は、ナイトクラブで自虐ショーを行ってお金を稼ぐことで再生を図る。
ある日、暴行を受けることで大金を稼ぐ仕事をナイトクラブのマネージャーを通して命じられる。
ゴルフパッドなどでボコボコに暴力を受け切った父親は朦朧とぶっ倒れる。
対価である大金から自分の分を抜いて金を渡すマネージャーにキレる父親。
最後の力を振り絞りマネージャーを殺してしまう。
大変なことなってしまい、
息子を連れて逃亡を図る父親。
逃げ込んだ場所は、
かつて妻と一緒にマジックを披露した劇場の廃墟だった。
ゴザの上で一緒に寝ている父子。
体力が低下して生死をさまよう父親。
ここで父親は最後のマジックを見せる。
幸せだった頃の親子 ( 父と母、幼い息子 ) が映っている写真を見せるのだ。
二人のボロボロになった気持ちは、
写真を通して召喚する。
父親の愛情が息子に受け入れられた瞬間だ。
二人は安らかに眠ることにする。
ふと息子が目を覚ますと、
一緒に寝ていた父親は、
写真に映っている若い頃の父親になっていた。
若い父親は起き上がると、
映画の最後のマジックを見せていく。
舞台には、
写真と同じ父と母が立っている。
舞台を見つめる息子。
その瞳には、
失われることのない家族のふれあいが輝かしい光のように映り込む。
大いなる喪失に光を当てるには、
見つめ合う ( 信じ合う ) ことで始めたい、そんな気持ちが伝わる作品だ。

" …失ってしまったら、見つめて欲しい。見つかるから、きっときっと … "

□09年10月11日記

9月8日、
シネマート六本木から移動してユーロスペースのレイトで短編 2作品 「恋人はバンパイア」05 / カナダ / 監督リム・デズリ と「LOVE ME 2030」06 / 仏日 / シューリー・チェン 。
国内外50人の監督の短編映画50本の日替わり上映で山形国際ムービーフェスティバルスカラシップ作品特集。
リム・デズリ監督の作品は一通り観ているが彼女からの招待もあって動員鑑賞。何年か前に撮影の芦澤明子嬢から紹介を受けて以来、お付き合いをしている注目の監督。
マレーシア生、今はバンクーバー在住で、マレー、日本、北京、広東、英語を話す多国籍人。
上智大学卒業後にテレビ朝日国際部、その後、NHK国際部でディレクターも務める。もうテレビは嫌いらしい。
中短編を含め 8本の作品がある。
特徴はレズビアンとしてカムアウトしていること。すでに世界中のレズ&ゲイ映画祭で出品上映されている。
「恋人はバンパイア」はチャーミングな仕上がりも、勢いで演出してしまった印象の作品。
バンパイアの末裔でレズのヒロインは年上の相手に一目惚れしてしまう。
レズ友に励まされて、
何とか年上の彼女に近付こうと決心!
ある日、男性と歩いている彼女を目撃てショックを受ける。しかし、男性はゲイ、彼女はレズビアンであることが分かりハッピーエンド。
ヒロインがラブレターを持って待ち受けている所に、
彼女が男性と楽しそうに歩いて来る。
リムの演出は、
そのシーンをワンカットで捉えて、
ヒロインの失意と同時に男性がゲイであることを示す。
演出のセンスが光るカットだ。
じつは、この短編の頃と今のリムとでは大きく何かが変わっている印象。
この春、NHKとの契約更新の狭間に実家に帰り、中編作品の撮影を自主製作で敢行した。
母国であるマレーシアがビルマからの難民受け入れに対して、人権無視の 不法な扱いと難民ビジネスを行ってる実状に疑問を持ち、その事実を伝える作品を製作するために帰国したのだ。
実際のビルマ難民女性をキャスティング、彼女がマレーシアに入国してからの生活、支援、逃走をフィクションとノンフィクションが入り混じる仕上がりで演出した。
完成直前のバージョンを観せてもらったが、これまでの自らのジェンダーを扱った作品から確実にランクアップしたものを感じた。
伝えるべきものを持ち得た強さ、と言うものだろう。
我は強いが憎めない女の子だ。
僕も彼女も、
描くべき必然性とリアリティが、
映画ナウの必然と課題だと信じている。
「LOVE ME 2030」もレズ系監督の作品。パリで撮影されたアートビデオ映像と言った具合の仕上がりで、何も語るものはない。

9月9日、
シアターN渋谷1のレイトで「陰獣」08 / 仏 / 監督バーベット・シュローダー。
江戸川乱歩原作の映画化。
半年かけて日本ロケをしたらしい。
シュローダーはあまり知られていない知る人ぞ知るヌーヴェル・ヴァーグ出身の一人。
イラン生でフランス国籍のスイス人。
映画批評、助監督、役者、プロデューサーとして活躍。
あのビュル・オジェは配偶者である!
エリック・ロメールと ( 現在もある ) 映画製作会社 レ・フィルム・デュ・ローザンジュを設立。
オムニバス作品「パリところどころ」65 / 仏 / 監督ジャン=ダニエル・ポレ、ジャン・ルーシュ、ジャン・ドゥーシェ、ジャン=リュック・ゴダール、エリック・ロメール、クロード・シャブロル は渾身の企画プロデュース作品。
60年代後期からは監督にも進出、
フランス時代の主な作品に、
デビュー作ピンクフロイドのロック映画「モア」69 、「ラ・ヴァレ」72 、オジェとの「メトレス」76 など。
イスラエル系映画企業キャノン・フィルム製作で、フェイ・ダナウェイ& ミッキー・ローク主演「バーフライ」87 でハリウッド監督デビュー。
以降、ハリウッドで定期的に監督作品を発表。
ジェレミー・アイアンズ主演「運命の逆転」90 、ブリジット・フォンダ主演「ルームメイト」92 、ニコラス・ケイジ主演「死の接吻」95 、サンドラ・ブロック主演「完全犯罪クラブ」02 などリアルで良質な中量級のミステリーサスペンスを演出。
最近では、悪魔の弁護士と名高いジャック・ベルジェス弁護士のドキュメンタリー映画「テロルの弁護士」07 ( アンスティチュ・フランセ東京の特集上映『 鉛の時代、映画のテロリズム 』で上映されるもまだ未見 ) を発表。
ジャック・ベルジェスは、
あらゆるテロリストを擁護して弁護を引き受け、晩年はリビア空爆で被害を受けた市民を弁護してサルコジ前大統領を訴えた有名弁護士。
シュローダーはどんな視点で作品を成立させているのか?とても興味深い!
彼のキャリアを見て、
この人の魅力は変なバランス感覚にあるように思う。
自分自身、見習いたくなり主軸になる人物だ。
しかし、本作は頂けない。
昨年度のヴェネチア国際映画祭オープニングを飾るも、キワモノ作品の仕上がり。
バランス感覚に長けた人だけに卒がない分、演出のユニークさ ( あるいは作家性 ) に欠けていることが今ひとつ作品の評価に繋がらない要因。
だからハリウッドで撮れるのだがw
推理作家にブノワ・マジメル、ヒロインにフランス在住のモデル源利華が全裸で演じている。
ヒロインの人物造形に深みがなく、
物語の転換だけで作品を締めくくる終わりが致命的だ。
SM描写も加藤泰監督作品「江戸川乱歩の陰獣」77 に遥か及ばない。
加藤作品での、
SM好きマゾのヒロインが囲碁の石を打つ音に鞭で打たれる音を思い出して秘かに感じるシーンは優れている。
既にカルト作として位置付けされた加藤泰監督作品は、
出会った二人の恋愛と事件の解決を、
異様な空間で同時に観せることで、
観客を置き去りにする。
それは加藤泰ならではのもの。
監督の真摯さ、熱い情熱がド直球に映ってしまい、真剣勝負な分、受け止める側のキャパシティが作品の想いに負けてしまうからだ。
だから凄過ぎなんだけどw
加藤泰監督とバーベット・シュローダーがひとつの原作の映画化で同時に語られる偶然は面白い。
加藤泰監督は、僕が映画の世界に入るきっかけになった憧れの監督。
シュローダーは、映画の業界に入ってこんな風になりたいと憧れる人物だ。
作品は今ひとつだけどw
しかし、シュローダー作品は見守り続けたいと想う。
やっぱり、憧れているから。

□ 09年10月12日記

9月11日、
シネマヴェーラ渋谷で恒例!
妄執、異形の人々・モンドシネマ特集で「アマゾン無宿 世紀の大魔王」61 / 監督: 小沢茂弘 と「結婚相談」65 / 監督: 中平康 。
片岡千恵蔵主演のニュー東映作品「アマゾン無宿 ~」は、
さながら東映怪獣映画と言った趣きw
ヴェーラのチラシ解説が面白い。
[ 賭博市場が落ち込む中、高度成長期の日本を賭博大国にしようと世界中のヤクザがギャンブラーを送り込んできた。そんな中、ソンブレロをかぶった男、その名も " アマゾンの源次 " が横浜港に降り立った。源次はニューヨークからやってきた国定忠治の子孫 " ゴールドラッシュの熊吉 " と共に、祖国・日本を狙う賭場師たちに立ち向かう。ガンバレ!でも、世紀の大魔王って何? ]。
ここまで書かれたら観るしかない。
ソンブレロ姿の源次に千恵蔵御大、
ゴールドラッシュの熊吉に進藤英太郎、フランス帰りのギャンブラーに江原真二郎の三馬鹿トリオ。
悪役・三島雅夫が経営するホテル地下の賭場所で三馬鹿がブラフを行うシーンはまさに怪獣大行進!
新興宗教の経営で大金持ちのヤクザを小沢栄太郎、華僑のフィクサーを名優・月形龍之介、その女に久保菜穂子。7人が並ぶ場面はゴジラ、モスラ、ラドンたちの勢ぞろいw
小沢演出は単調かつ伏線を貼れない。ひとつ一つの場面が消化になる繰り返しで、ユニークなシーンまで退屈になるのが残念。
また、千恵蔵御大の芝居がどうしても時代劇になりw 、本作のような現代劇で御大が明るく振る舞えば振る舞うほどに知恵遅れの子供に映ってしまう。
それも作品の味として見ものだが、
やはり単調な演出は醜いものとして映し出す。
びっくりシーンがあった。
精神病院に潜入した御大が患者に成りすましてヒロインの久保菜穂子を助け出すくだり。
医者が患者たちに音楽を演奏させ失笑したり馬鹿にする場面はヤバ過ぎるw 今では不可能な設定。
このシーンのみ患者役に由利徹、トニー谷、渡辺篤ら出演。狂った演技を見せた。んん、まさしく妄執、異形の人々なり。
「結婚相談」もそうだった。
ヒロインの芦原いづみ が家族に内緒で結婚相談所を訪ねてトンデモない転落人生を歩む物語。
相談所とは名ばかりの売春斡旋を営む鬼婆に沢村貞子。
ヒロインは騙されていることに気づいているが、次第に抵抗感が薄れて売春婦となり下がる。
本気で惚れた男との心中事件、
知恵遅れの青年の性処理などエピソード豊富に綴られていく。
ヒロインが疲れ果てた頃、
ようやく婚約相手が見つかる。
浜辺を歩くラストシーン。
婚約相手は二人の子持ちで冴えない中年男。
ぎこちない二人…
でも周りはそうは見えない。
『 お似合いよ!』と声がかかると、
二人は振り返り、
『おしまいよ!』と答える。
そして映画も終わる。
お似合いよ と言われた二人は、
おしまいよ と聞き間違えて、
( 何が ) おしまいよ? と答えたのだ。
語呂合わせの皮肉とユーモアが重なったエンディング。
結婚相談で幸福を求めた女が裏切られ、やがて立ち直り、幸福の答えである結婚の相手を見つける。
しかし、作品は幸福な二人に『 おしまいよ 』との台詞を言わせて、
幸福への疑問を再び投げかける。
覚め切った視点のある作品だけに、
もっとエピソードを整理したらスマートな傑作になっていた。

9月13日、
フィルムセンター大ホールで映画人追悼特集から「魚影の群れ」83 / 監督: 相米慎二。
上映プリントに一部欠損あり。
友人のAV監督向けのお勉強鑑賞会。
初めてのフィルムセンターの存在に驚き、入場料金にも驚いていた。
そして、彼は初めての相米作品のインパクトにどう受け止めていいか?
困惑したようだ。
悲しい悲劇ゆえ、どうしてこんな作品が製作されたのかと、作品の成立に疑問を持ったからだ。面白い反応。
既成の物語からの自縛に解放されていないのだ。
おそらく多くの人もそうで、
特に若い層の保守化は著しい。
感性がある部分では鋭く、
ある部分では鈍い。
言葉を置き換えると、
個人的な部分では鋭いが、
社会的には鈍い、と言えるだろう。
再び言葉を置き換えると、
主観には鋭いが、客観には鈍いのだ。映画は主観と客観の芸術。
主観は見えるが客観は見えない、
では映画は見えない。
そのことをもっと教育してみたい。
大いなる悲劇も豊かな海の物語のコンテンツのひとつに過ぎないことに気づくまで。

□10月13日記…

9月15日、
シネマヴェーラ渋谷でモンドシネマ特集から「天使の欲望」79 / 監督: 関本郁男 と「鬼火」56 / 監督: 千葉泰樹 。
関本作品は封切以来、楽しみな再見。
脚本は中島丈博。
乾き切った姉に結城しのぶ、
湿り過ぎの妹を有明祥子が熱演。
二人を故郷喪失者 ( 東映プログラムピクチャーらしい主題 ) として都会に配置、惚れた男が同じ相手 ( 姉妹 ) になってしまう皮肉をいじけ感丸出しで悲惨に描いた愛しい仕上がりw
関本作品はなぜだか惚れてしまうチャーミングなものがある。それは弱者の視点を持ち得ているからだろう。
撮影の仲沢半次郎が老人役で出演はご愛嬌。
「鬼火」は東宝中編シリーズのもっとも優れた秀作のひとつ。
スタッフ、キャストを見れば、その水準の高さは当然と言うべきか。
脚本: 菊島隆三、撮影: 山田一夫、美術: 中古智、音楽: 伊福部昭、
出演: 加東大介、津島恵子、宮口精二、中村伸郎、清川玉枝、堺左千男。
まるで成瀬組。
ヴェーラのチラシ解説がまたも面白い。
[ ガス集金人 ( 加東大介 ) が、寝たきりの夫 ( 宮口精二 ) を抱えた人妻 ( 津島恵子 ) に料金代わりに肉体を要求したために起きる悲劇。おどろおどろしい音楽と不幸な夫婦の怨念を象徴するガスの炎 ( = 鬼火 ) が盛り上げる驚愕の結末は、ほとんどホラーの域に達しています。銭湯に入り上寿司も用意、気合を入れて人妻を待つ加東大介の姿は必見!]w
無駄のないカット、
演出には職人の腕を感じるしかない。
人妻は身体を提供することを決意するが、着て行く着物すらない。
寝たきりの夫に悟られて、、
夫自ら着物を脱いで妻に渡す。
惨めな状態はさらに惨めな惨状を映し出す。加東大介の部屋に行くと、
( 知られたくない ) 夫の着物を着てる姿を指摘されて逃げ帰る人妻。。
妻は夫に何もなかったことを報告、
二人は冷めざめと泣く。
一方、加東大介は上寿司二人前を無駄にした上、肉体を食い損ね、ガス料金まで立て替えて踏んだり蹴ったり。
さすがに腹を立て!人妻の家に緩んだ土を歩きながら行くと、
家の中にはガスの炎を付けっ放しにして、首をくくった人妻と夫の遺体があるのみだった。コワw!
慌てて逃げ出す加東大介にエンド。
ガスを付けっ放しにしたのはせめてもの抵抗だろう。
惨めな惨状は再び、
ガスの炎を通して燃え上がるのだ。
上手く出来過ぎで褒める言葉もない!

9月17日、
再びシネマヴェーラ渋谷で「呪いの館 血を吸う眼」71 / 監督: 山本迪夫 と「生きている小平次」57 / 監督: 青柳信雄。
〈 血を吸うシリーズ 3部作 〉の第2作目。生粋のホラー映画ファンで、先日お亡くなりになったプロデューサーの田中文雄さんが声をかけて製作された異色ホラー作品。
" イギリスのハマー・ホラーを彷彿とさせる耽美的でバタ臭い映像美を描き出し、日本映画界にはなかった新しいホラー映画を作り上げた "
と言う評価であるが、そんな評価に値する作品ではなかった。
岸田森扮するドラキュラだけが傑作。
何が起こっているのか分からないために、当然だが全く怖くない。
致命的なことは、起こっている出来事に対して、受け止める側の演出を避けていることだ。
滑りまくりのこけおどしが連続する仕上がり。
程度の低い演出は、どんなに賞美するレトリックな言葉の牙城があっても、退屈のひと言でその牙城は崩壊する。
対比するように「生きている小平次」は怖くて良く出来た秀作。
これも東宝の中編シリーズ作品。
脚本に井手俊郎、音楽を佐藤勝。
出演は小平次に中村扇雀、恋人おちかに八千草薫、ライバルの太久郎に芥川比呂志が演じている。
八千草薫のはすっぱな悪女役は驚き!
小平次は恋人を太久郎に奪われた上、川で殺されてしまう。
死んでも死に切れない小平次は亡霊となり、おちかの前に現れるもフラれてしまうw
怖くなったおちかと太久郎は旅に出て逃げ惑う。
哀れな亡霊の小平次はストーカーと化し、付きまとうのが物語。
ラスト、カメラは高い位置から波打ち際を歩く二人を撮らえる。
小平次の主観ショットであると同時に、波打ち際を縦の位置にフレーム。
右手の砂地と左手の海を、
天国と地獄として撮らえる客観ショットには、メタファとしての視点が映り込んだ。

9月17日、
東京都写真美術館ホールで「ぼくはうみをみたくなりました」09 / 監督: 福田是久。
以前一緒に仕事をしたことがある福田くんの監督デビュー作。
自閉症の青年と出会った人々との交流を優しいタッチで描いた作品。
看護学生役の大塚ちひろの役割が弱くて、今ひとつ説得力のない平板な物語になってしまった。
自閉症の青年役の伊藤祐貴が昆虫のような熱演をしただけに、
( 自閉症の青年を ) 受け止める側のキャラクター造形の見直しがあってしかるべき。
そうでないと青年が生きてこない。
撮影の青木正もかつての仕事仲間だった。次回の作品に期待したい。

□09年10月16日記

9月18日、
新宿バルト9 で開催中のラテンビート映画祭から「よそ者」08 / メキシコ仏米 / 監督アマト・エスカランテ。
この映画祭はスペイン、アメリカ、ブラジル、アルゼンチン、チリ、キューバなどラテン各国からセレクション。
アカデミー賞やカンヌ国際映画祭へ出品された作品をいち早く上映してくれるのが魅力。政治力のある映画祭だ。
会場でプログラミングディレクターのアルベルト・カレロ・ルゴに会う。
何年か前に、
スペイン映画界の老匠、あるいはトラッシュ映画の巨匠ジェス・フランコ監督のDVDBOXを出したことがあり、フランコ監督をキャンペーンに初来日させるおバカ計画のために、アルベルトへ協力要請をした経過から映画祭の度にお会いしているのだ。
ブリュノ・ディモン監督に捧げられた「よそ者」は、冒頭のワンカット約3分位の長回しで作品のスタイルを明確にする。
ロスで暮らすメキシコ不法移民の二人が主人公。乾き切った堤防の河底をゆっくりと歩いて来る二人が横切るとタイトルが始まるかっこいい始まり!
カウントはしなかったが、90分の尺でトータル100カットもない作りだ。
前半は二人の日雇仕事とその内容。
後半は二人が母親とひとり息子の家に侵入したことから起こるアクシデントを映し出す。
前半と後半の間はヒッピー軍団から手痛い差別を受けるエピソード。
カット数が極端に少ない独特の緊張感で二人のアイデンティティに迫るスタイルに重きを置いた。
フィックス、ワンカットの長回しで座っている母親の頭を銃で撃ち抜き、
頭の三分の一が飛び散る強烈なカットがあった。特殊メイクとは言えワンカットの凄いインパクト!
母親を撃った一人は息子によって射殺、残った片方 ( 少年と言っていい ) は二階の窓から逃げ出す。
ラストカット、
少年は日雇いでイチゴ畑の農作業中、
突然、嘔吐をして作品は終わる。
社会への視点をフレーミングする仕上がり。
しかし、映画祭向けのスタイルが普及した現在、このスタイルが作品の完成度を殺してしまう。映画はスタイルさえ問えない時代に突入している。
08年カンヌ国際映画祭ある視点正式作品。

9月19日、
再びバルト9 のラテンビート映画祭から「セックスとパーティと嘘」09 / スペイン / 監督アルフォンソ・アルバセテ&ダビ・メンケス と「クアホ、逆手のトリック」09 / スペイン / 監督サンティアゴ・A・サンノウ。
「セックス~ 」は、日本では少し無理かな?と思わせる程、ドラッグの使用シーンが過多の80年代スペインの青春群像。Hなからみシーンも豊富でまさに直球の性春作品。
誰からも愛された青年 ( 実はゲイ ) が失恋からドラッグを過剰摂取からオーバードーズにより死亡。甘く苦いひと夏の物語は終焉を迎える。
スペインのテレビドラマの若手スターたちがこぞって出演した本作は仕上がりのいい作品とは思えない。
演出がテレビ的な基本アップで構成されている。登場人物の腰から下は映らない作品だw
映画祭のゲストで来日した女優アナ・デ・アルマスのトークで納得したが、ラストシーンは時間をかけてテイクを重ねたようだ。それはそうだろう。
死亡した友達を弔うために海辺に集まった若者達。その顔には、急に老けてしまったかのような、終わりと始まりが映っていた。
本作はDLP上映で画質の映り込みがとても悪くてテレビ画面を拡大したようだった。
今後はフィルム撮影とフィルム上映以外のフォーマットで上映される映り込みには注意深く書いていく。
HD撮影から35ミリプリントにされた作品でこの映り込みはお金は取れないと思う。映画の損失と理解すべきだ。
地味ながら強い印象を残してくれた「クアホ、~」は、障害や貧困を乗り越える不屈のスピリッツを映し出す好感度の仕上がり。
スラムに住むクアホは闇取引で稼ぎながらも自分のヒップホップ・スタジオを持つ夢を諦めない。なけなしの金で借りた空き家に職人を雇って改装工事に取り掛かるが、資金調達のためにマフィア絡みの仕事に手を出して焦げつきを出す。マフィアの報復で完成したスタジオに放火されてしまう。クアホに残ったのは絶対に諦めないハートしかなかった…。
実際に脳性麻痺で両手両足に障害を持つヒップホップ・グループのリーダー: エル・ランギがクアホ役をクールに熱演。障害者のリアルが物語のリアルを加速した。

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